1二色の予定
時は十二月、所はニューヨーク。灰色の町はホリデーシーズンに突入してからずっと(つまり11月の最後の週末が明けてからずっと)赤と緑のデコレーションに浸食されている。どんなに無味乾燥な場所にもするり、ちょろり。赤いヒイラギの実と緑の葉っぱ、赤と白のだんだら模様のキャンディケーン。とどのつまりはクリスマスの欠片が抜け目なく潜り込んでいる。蟻かカビかと言うレベルの浸食度だが、そこに忌忌しさは無い。
意味も由来もわからねど、その鮮やかな色と音は見る者の心を浮き立たせるのだ。どれほど寒さが厳しく風が痛く、鉛色の空が重くても。
本来ならむさくるしい男の独り住まいのアパートメントにさえ、ちっぽけながら手の込んだ作りのリースが掛かっていた。しかしながら所詮は都会の一人暮らしだ。さすがに暖炉やクリスマスツリー、赤白まだらの靴下は無い。
リビングでは四十路の中年男が約二名。こたつに足をつっこんで、しかめっつらで向かい合う。
そう、こたつだ。
NYなのに、こたつ。アメリカなのに、何故こたつ? 答えは単純、この部屋の主が日本人、それも二〇年近くUSAに腰を据えているからだ。
「むー……」
「んーむむむむむむ」
額と額が触れ合わんばかりの距離で顔をつき合わせているのはどちらもヒゲ面、がっちりした筋肉質。ある意味この二人は似ていた。だがある点においては対照的でもあった。
一人は赤毛のコーカソイド。6フィートを優に越えた長身、肩幅は広く胸板は厚く、鉄塊から削り出した刃物のようにあらゆる面において無骨で、実用的で、実戦向け。厚手のセーターの上からもそれと分かるほどの堂々たる体躯の持ち主だ。顔や首筋に残る傷跡は、今やすっかりなじんで彼の人相の一部となっている。
太い眉、がっちりした顎、鳶色の瞳。眉間に刻まれた皴は深く、浮かぶ表情は厳しい。有り体に言ってしまえば、非常に人相が悪い。じろりとにらめば大抵の相手はびびって逃げ腰。しかしながら今、向き合ってる男は数少ない例外の一人だった。
黒髪のアジアン、つやのある柔らかな髪はえり足を覆う程度に長く、所々にほのかに入ったハイライトのお陰で(控えめに白髪を染めた結果なのだが)全体の印象はふんわりと軽い。体格は赤毛のコーカソイドに比べれば華奢。しかしながら単独で見ればこの男にしたって充分、がっしりしてるのだ……あくまで見られる事を前提に仕上げた体ではあるが。
そう、この男は体を作っていた。女が髪を整え、化粧をするように。
目尻や口元には細かな皴が刻まれ、彼がしょっちゅう笑っていると知れる。顎を縁取るヒゲは丁寧に、念入りに整えられ、形のよい唇は(こんなに思案に暮れている時でさえ)きゅいっと上向きのラインを描く。眉が困惑していても、口元には常にほほ笑みを浮かべてる。いつだって楽しげで愛想良く。どこかひょうひょうとして、ほんの少しの皮肉を含みつつ、おおむね肩の力は抜けている。何かがぶつかって来た時は、柳の枝さながらに身をくねらせするりとすり抜ける。
そんな生き方がそのままにじみ出た顔。ただし、今向き合ってる男に対してはいつだって真剣。
ある意味似ていて、ある部分では正反対。
そんな二人の男のちょうど真ん中、こたつの上に置かれているのはカレンダーだ。予定を書き込む四角いスペースがきっちり並び、余白にはちっぽけなクリスマスツリーがつつましくプリントされている。書き込まれた予定は二人分。一つはブルーブラックのインクで力強く。もう一つは鮮やかな紫色のインクで流れるような筆跡で。
「重なってるね」
「ああ。重なってるな」
二人の男の仕事の予定は、忌忌しいくらいにきっちり重なっていた。イヴにも、クリスマスにも。
「あーっ! もうっ!」
黒髪の男は咽をそらし、物憂げに髪をかきあげた。妙に艶めいた仕草とは裏腹に口をぐんにゃり歪め、親父くささ丸出しの表情で。
「やーっぱこの時期、休み取るのは無理かぁ」
「仕方ない。稼ぎ時だろ?」
黒髪の男の名はフジイ アキラ、職業はバーレストランの支配人。
「君もね」
赤毛の男はヴィンセント・テッサロッサ。元軍人で今は警備会社に勤務する腕利きのセキュリティガード。この時期は金持ちや大手企業の催すパーティーに、イベントに、あるいはライブの警備に忙しい。
どちらもイヴとクリスマスは暇なし予定びっちりすき間なし。どうにかシフトをやりくりし、共に過ごすの時間をひねり出そうとしたものの、スケジュールも荷物もすき間が無ければ動かせない。
「むしろこの時期、暇だったらお互い勤め先の経営状態を心配をすべきだよ」
「おいおい」
フジイはぺったりとこたつの天板に突っ伏した。
赤毛のヴィンセントは手を伸ばし、黒くしなやかな髪に指をからめた。犬でもなでるようにわしゃわしゃとかき回し、ふっと短く息を吐く。
「しかたない」
「いや、手はあるさ」
むくりとフジイが起き上がる。
「25日は、君も俺も遅番だろ?」
「ああ」
その時期、その時間帯はどちらも所帯持ちに休みを譲った。あるいは恋人のいる若い世代に。
「逆に考えるんだ」
琥珀色の瞳をきらきらさせながら、フジイはきゅうっと口角をつりあげた。まるで玩具のアヒルみたいに。
「逆に?」
「そう、逆に」
時は十二月、所はニューヨーク。灰色の町はホリデーシーズンに突入してからずっと(つまり11月の最後の週末が明けてからずっと)赤と緑のデコレーションに浸食されている。どんなに無味乾燥な場所にもするり、ちょろり。赤いヒイラギの実と緑の葉っぱ、赤と白のだんだら模様のキャンディケーン。とどのつまりはクリスマスの欠片が抜け目なく潜り込んでいる。蟻かカビかと言うレベルの浸食度だが、そこに忌忌しさは無い。
意味も由来もわからねど、その鮮やかな色と音は見る者の心を浮き立たせるのだ。どれほど寒さが厳しく風が痛く、鉛色の空が重くても。
本来ならむさくるしい男の独り住まいのアパートメントにさえ、ちっぽけながら手の込んだ作りのリースが掛かっていた。しかしながら所詮は都会の一人暮らしだ。さすがに暖炉やクリスマスツリー、赤白まだらの靴下は無い。
リビングでは四十路の中年男が約二名。こたつに足をつっこんで、しかめっつらで向かい合う。
そう、こたつだ。
NYなのに、こたつ。アメリカなのに、何故こたつ? 答えは単純、この部屋の主が日本人、それも二〇年近くUSAに腰を据えているからだ。
「むー……」
「んーむむむむむむ」
額と額が触れ合わんばかりの距離で顔をつき合わせているのはどちらもヒゲ面、がっちりした筋肉質。ある意味この二人は似ていた。だがある点においては対照的でもあった。
一人は赤毛のコーカソイド。6フィートを優に越えた長身、肩幅は広く胸板は厚く、鉄塊から削り出した刃物のようにあらゆる面において無骨で、実用的で、実戦向け。厚手のセーターの上からもそれと分かるほどの堂々たる体躯の持ち主だ。顔や首筋に残る傷跡は、今やすっかりなじんで彼の人相の一部となっている。
太い眉、がっちりした顎、鳶色の瞳。眉間に刻まれた皴は深く、浮かぶ表情は厳しい。有り体に言ってしまえば、非常に人相が悪い。じろりとにらめば大抵の相手はびびって逃げ腰。しかしながら今、向き合ってる男は数少ない例外の一人だった。
黒髪のアジアン、つやのある柔らかな髪はえり足を覆う程度に長く、所々にほのかに入ったハイライトのお陰で(控えめに白髪を染めた結果なのだが)全体の印象はふんわりと軽い。体格は赤毛のコーカソイドに比べれば華奢。しかしながら単独で見ればこの男にしたって充分、がっしりしてるのだ……あくまで見られる事を前提に仕上げた体ではあるが。
そう、この男は体を作っていた。女が髪を整え、化粧をするように。
目尻や口元には細かな皴が刻まれ、彼がしょっちゅう笑っていると知れる。顎を縁取るヒゲは丁寧に、念入りに整えられ、形のよい唇は(こんなに思案に暮れている時でさえ)きゅいっと上向きのラインを描く。眉が困惑していても、口元には常にほほ笑みを浮かべてる。いつだって楽しげで愛想良く。どこかひょうひょうとして、ほんの少しの皮肉を含みつつ、おおむね肩の力は抜けている。何かがぶつかって来た時は、柳の枝さながらに身をくねらせするりとすり抜ける。
そんな生き方がそのままにじみ出た顔。ただし、今向き合ってる男に対してはいつだって真剣。
ある意味似ていて、ある部分では正反対。
そんな二人の男のちょうど真ん中、こたつの上に置かれているのはカレンダーだ。予定を書き込む四角いスペースがきっちり並び、余白にはちっぽけなクリスマスツリーがつつましくプリントされている。書き込まれた予定は二人分。一つはブルーブラックのインクで力強く。もう一つは鮮やかな紫色のインクで流れるような筆跡で。
「重なってるね」
「ああ。重なってるな」
二人の男の仕事の予定は、忌忌しいくらいにきっちり重なっていた。イヴにも、クリスマスにも。
「あーっ! もうっ!」
黒髪の男は咽をそらし、物憂げに髪をかきあげた。妙に艶めいた仕草とは裏腹に口をぐんにゃり歪め、親父くささ丸出しの表情で。
「やーっぱこの時期、休み取るのは無理かぁ」
「仕方ない。稼ぎ時だろ?」
黒髪の男の名はフジイ アキラ、職業はバーレストランの支配人。
「君もね」
赤毛の男はヴィンセント・テッサロッサ。元軍人で今は警備会社に勤務する腕利きのセキュリティガード。この時期は金持ちや大手企業の催すパーティーに、イベントに、あるいはライブの警備に忙しい。
どちらもイヴとクリスマスは暇なし予定びっちりすき間なし。どうにかシフトをやりくりし、共に過ごすの時間をひねり出そうとしたものの、スケジュールも荷物もすき間が無ければ動かせない。
「むしろこの時期、暇だったらお互い勤め先の経営状態を心配をすべきだよ」
「おいおい」
フジイはぺったりとこたつの天板に突っ伏した。
赤毛のヴィンセントは手を伸ばし、黒くしなやかな髪に指をからめた。犬でもなでるようにわしゃわしゃとかき回し、ふっと短く息を吐く。
「しかたない」
「いや、手はあるさ」
むくりとフジイが起き上がる。
「25日は、君も俺も遅番だろ?」
「ああ」
その時期、その時間帯はどちらも所帯持ちに休みを譲った。あるいは恋人のいる若い世代に。
「逆に考えるんだ」
琥珀色の瞳をきらきらさせながら、フジイはきゅうっと口角をつりあげた。まるで玩具のアヒルみたいに。
「逆に?」
「そう、逆に」
2イヴの夜
アパートメントに帰り着いた時は、既に時間は零時を回っていた。(もう、イヴじゃない)
ロビーに置かれたクリスマスツリーが、ひっそりと出迎えてくれた。生木を模した緑のプラスチックの人造モミの木に、やっぱり作り物の赤いリンゴが下がってる。洗練されてるけどどこか物足りないなぁ、なんて思ってたら同じ事を考えた住人は多かったらしい。傍を通る度に飾りが増えていた。(一応、飾りの提供者は管理人に渡す決まりになっているらしい)今日もまた一つ、毛糸で編んだちっぽけな雪だるまが増えていた。
「……メリークリスマス」
小さな声でご挨拶、エレベーターに向かった。
※
エレベーターを降りて廊下を歩く。この時間だ、さすがに誰とも出合わない、すれ違わない。いつもの事だ。鍵を開けて、何とは無し息を潜めて静かに静かにドアを開けると……
「……あ」
ヴィンセントが待ちかまえていた。いや、出迎えてくれたって言うべきなのか。腕組みして、ドアの向こうに両足踏ん張って仁王立ち。仕事の上がりは彼の方が早かったし合い鍵だって渡してある。何ら不思議はないのだけれど、やっぱり現実に顔を合わせると、頬がゆるむ。
「ただいま」
ぶっとい男らしい赤い眉から力が抜け、ヘの字に引き結ばれた唇がほころぶ。ほんの少し目尻が下がる……ほほ笑んでる。「お帰り」
迷わず一歩踏み込み、唇を重ねる。夜の静けさの中、小鳥のさえずるようなくすぐったい音が、やけに大きく聞こえた。耳がくすぐったい。触れ合う唇が、あったかい。濡れた唇と唇をすりつけ合った。上唇をくわえてしゃぶった。とろけたゼリーを舐めるように念入りに、何度も。
「ん……」
くぐもった声が響く。俺の声か、彼の声か、どっちだ?
明かりの点った温かな部屋で、君が待っている。お帰りって迎えてくれる幸せに浸り……舌突っ込もうとしたら押しのけられた。肩をすくめてドアを閉める。
「先に寝てくれてよかったのに」
「ベッドで不意打ちくらうのはごめんだ」
わかってらっしゃる。
肩をすくめて苦笑い。しかし次の瞬間。
「待ちたかったんだよ。お前が帰ってくるのを」
低い声が耳をくすぐり、体のすみずみまで染みとおる。頬が火照り、むずむずと口元がふるえて今度は正真正銘、本物の照れ笑いがにじむ。
「………うれしいね」
この時間だ、さすがに夕飯(もはや夜食と言うべきか?)は軽くすませる。缶入りのクラムチャウダーをあっためて、炒めたベーコンを追加する。その間、ヴィンセントはずっと隣に立って見ていた。
「部屋で待ってりゃいいのに」
「手伝えること、あるか」
「じゃあ棚から皿出してくれ」
「わかった」
一緒にいたいらしい。(可愛いなあ)熱したベーコンの脂のにおいが記憶を呼び覚ます。
「フジイ」
「ん、どーした?」
「何、にやけてる」
「あーその、食後のお楽しみのこと、考えてた」
「ふーん?」
「これだよこれ!」
ひっくり返さないように大事に慎重に、持ち帰った四角い紙の箱を明ける。中味はカップケーキ、クリスマス用にクリームやチョコレート、クッキーに砂糖菓子を惜しみなく使ってはなやかに(と言うか派手派手しく)デコレートしてある。
「サンタとツリー、どっちがいい?」
ふんふんとにおいをかいで、赤毛の子猫は怪訝そうに首を傾げる。
「味に違いはあるのかこれ」
「苺と抹茶」
どっちがどっちかはお察し。
「サンタをもらおう」
「OK」
「よくあったな、この時間に」
「店のデザートだよ。仕事が引ける前にキープしといたんだ」
もちろん買い取りで。
3ソフトコース
「おい、フジイ」
「なんだよぉ、ヴィヴィ」
ベッドの中ですりよって、広い背中に腕を回す。
「今日は、自粛しろ!」
ぐいと押しのけられた。手を突っ張られてすき間が開いて、キスの準備体勢に入った唇はとがらせたまま、虚しく空振り。
「ソフトコースで行くから」
「信用できるかあっ!」
「じゃあ君、キスだけで我慢できるのか。ん?」
「う……それは」
目を伏せた。突っ張られた手の力がゆるむ。すかさずその手首をとって指先をついばむ。(そうとも。玄関を入って君にキスした瞬間から、既に『セックス』は始まっていた)
「俺は、できない」(ここで止まったら破裂しちまうよ。君への愛しさと、吹き荒れる性欲で!)
身震いしてる。本当は君だって我慢できないはずだ。においでわかる。声でわかる。肌の味で、わかる。今度は抱き寄せても、押しのけられなかった。耳たぶを舐め、右耳に光る赤いピアスを口に含む。
「っ……ぅ……よせ……って……言ってるだろ」
息が熱い。もう一押し。にじみだす欲を圧縮し、掠れたささやきに変えて。
「セックスしようぜ。なあ、子猫ちゃん?」
「……この、変態」
「知ってる」
※
しなやかな指先が丹念に肌をまさぐる。触れられてるのだと知らせてる。意識がそっちに向いたのを見透かしたように唇が後をなぞり、間から舌がちょろりと出てまた引っ込む。次第に舌の出ている割合いが多くなり、濡れた皮膚を吸って、舐めて。
「んっ」
身体が答える。呼吸が次第に荒くなる。
知られまいと歯を食いしばって無駄だ。これだけ引っ付いてれば嫌でも伝わる。それでも悔しくて、いつもギリギリまで我慢しちまう。(そう簡単に落ちてたまるかよ!)
不埒な唇、不埒な舌。その動きにようやく順応し、してやったりと勝利を確信する。その瞬間、噛まれた。
「あっ」
駆け抜ける電流に体が跳ねる。
零れる喘ぎは敗北の印。胸の上で、笑う気配がする。羽毛のように軽く、柔らかでとろけるほどに甘い声。
「可愛いな、ヴィヴィ」
「その、名前で……呼ぶな」
嘘だ。
既に体の芯が熱を帯びてる。
忌忌しいが俺の体はもうすっかり、こいつの手練手管に染まってる。何をされるのか期待して、待ちわびてる。
(こいつもそれを知っている)
丹念で執拗な愛撫と、激しい雄の交尾。織り交ぜて、寄り合わせてからめ捕る。その感触と来たら、それこそ痺れるように心地よくて……。
「っ!」
(この音はっ!)
「フジイっ!」
「はい?」
「貴様っ」
じっとり湿った手で手首をつかむ。骨と肉を通じて伝わる震動が、もろもろのいかがわしい記憶を呼び覚ます。
「どっから出した、そのクソったれなアヒル!」
「……枕の下」
「思春期のエロ本じゃねぇぞっ」
「何故か、あったんだよここに。たまたま」
こっちが気恥ずかしくなるくらいあどけない笑みを浮かべ、ぶるぶる震えるアヒルの玩具の色は緑。初めて見る色だ。黄色でもピンクでもない。ご丁寧にサンタの帽子まで被ってる。
「お前、これいくつ持ってるんだ」
「……6羽かな」
「このっ!」
罵るより早く唇を奪われる。噛みつかんばかりに貪って、ぐいぐい腰を押しつけてくる。まるで発情した雄犬みたいに揺すってる。すりつけてる。(どこかソフトコースだ、うそつきめ)
ねっちりとしつこく俺の躯を舐めながら、こんなに固くしてたのか。ぱんぱんに張りつめて、熱く膨れ上がって、今にも爆発しそうだ。そのくせ余裕たっぷりに俺を煽る。とんだスケベ野郎だ。エロおやじだ。
いったい、こいつの頭とペニスはどうやってバランスを取ってるのか!
「まさか……くっ、俺の脚でイくつもりじゃないよな……っ?」
熱っぽい瞳で見あげて、舌なめずりしてる。
「んー、それも悪くない、かな」
「っ!」
やばい。
まただ。背筋を電流が流れた。
ヘマ踏んで古いヒューズを交換する時に食らう奴の比じゃない。一瞬で脊髄を焼き尽くす強烈な雷撃。
「いいぜ? ただし、条件がある」
答える声の合間に粘つく水音が混じる。(だ液が粘ってる。俺も、盛ってるからだ)
「何なりと」
「アヒルは、無しだ」
ひくん、と皴の寄った咽が動く。フジイは俺の脚をささげ持ち、つま先に顔を寄せて……
「…………OK」
素直にうなずいた。ちょっぴり残念そうな顔で。
勝ったと思った。
うかつだった。
あいつがあんな『使い方』をするなんて。
※
「何してる……フジイ」
潤んだ目でV.Iが見てる。実にいい気分だ。素っ裸に剥いた恋人をあお向けにベッドに組み敷いて、上から伸し掛かるのは。何度やっても興奮する。干からびた体の中で血が沸き立ち、吐く息が生臭く湿る。
「足でイっていいって、言ったろ君?」素知らぬふりして問い返す。君がうろたえてるのは承知の上で。
「これは、ちがう!」
手首をつかみ、つまさきが顔につきそうなほど脚を曲げる。(君は実に柔軟だ。普段っから運動を欠かさないだけあって)尻の穴もペニスも丸見えになる恥ずかしい体勢。ここまではしょっちゅうやってることだ。恥じらいながらも身を委ねてくれる。だが今回は少々勝手が違う。明らかに動転してる。
「どう違うって? あ、こら、暴れるなよ。上手く縛れないでしょー?」
ベッドサイドの引き出しには、常日ごろいろいろと仕込んでる。コンドームにローション、ウェットティッシュにタオル、その他セックスを快適に安全に進めるための必需品。そして……甘い夜にちょいとしたスパイスをからめるための小道具。ぷるぷる震えるアヒル然り、銀色のマドラー風の細い棒しかり。
今夜のこいつは初めてお披露目する、日本産。お肌に優しい木綿のロープだ。スペイン産のハムみたいに筋肉の盛り上がったぶっとい脚を、ぴっちり合わせて膝を縛る。
「あ……」
赤毛の人間は色素が薄い。にごりの無い白い肌に、赤い縄はよく映える。
最初のうちは子猫ちゃん、とろんとした目で追いかけていた。迷い無くロープを潜らせ、縛る俺の手つきを。きゅっと結んで余りを口にくわえて引っ張った。
「あっ」
途端にせわしなくまばたきして首を振る。
やっと我に返ったらしい。
「何で縛る! 何の関係がある!」
「あ、あ、あんまり暴れない方がいいぜ? 余計に縄が食い込む」
「う……」
そっぽ向いちまった。悔しそうに眉をしかめて喘いでる……目線だけこっちに向けて。
「縛ってるのは膝だけだろ。何だってそんなに過剰に反応しちゃうかなぁ、ヴィヴィちゃんは」
「う、うるさいっ!」
「あ。ひょっとして、全身きっちり縛られるの、期待してた?」
「何だとっ」
くわっとこっちをにらみ、牙を剥いた。
「だからお前は変態なんだっ」
「仰せの通り」
これみよがしにローションのボトルを掲げてふたを開ける。
「変態ですよ……」
「っ!」
息を呑んでる。いい表情だ。脅えていて、悔しそうなのに、信頼してる。足を縛った程度で君から戦う力は奪えない。その気になればこの状態でも、1Rで易々と俺のことなんかのしちまえるはずなのに。
今の君は全身、委ねてる。こんな無防備で恥ずかしい姿にされても。(たまんねぇ……)甘い電流が走る。身体中の肉と言う肉が震える。肌が泡立ち、実体の無いどろりとした熱が噴き出す。
「フジイ……」
「何だい?」
「その目つき、卑猥だ」
「そうかな」
てのひらにローションを練り出し、指先でにちょにちょとかき混ぜる。泡立ち、体温であたたまったねっとりした液体をぬりつけた。すき間無く縛り合わせた太股に。
「う……あ、あぁ」
「どうよ、これ。いいにおいだろ? ハチミツの香りだ」
「何で、そんなもん」
「オーガニック素材なんだよ。口に入っても安全。むしろ食べられるのがポイント」
ぬるつく太股に舌を這わせる。
「ふっ、くぅっ」
「いい味だ」
甘い体には、甘い蜜がよく似合う。
「さぁてっと、そろそろ始めよっかなぁ」
ぬるつき糸引く太股の肉。指をめり込ませて割り開き、ねじ込んだ。さっきっから痛いほど張りつめて、そそり立つペニスを。
「あっ」
「おー……おぉう。さすが、きついなぁ。よく締まってる」
「ふ、フジイ? フジイっ?」
上ずる声に気付かぬふりしてゆっくりと、前後に抜き差しした。
「お、おまえっ、なにっ、なにしてるっ」
太股にこすりつけられるナニの感触にとまどってるな?
「何って、素股」
「すまたっ?」
「こーやって、君のこのぶっとい筋肉もりもりの太股で俺の倅を挟んで、しごいてるんだよ……うぅ、気持ちいぃ……」
やばい。本気で止まらなくなってきた。またヴィヴィちゃんが予想以上に恥じらってくれるから。前後左右に視線走らせて、手で口を押さえて、それでも足りずに指先噛んでる。そのくせ、横目上目でこっちを見てるんだよなあ。目尻に涙まで浮べちゃって。
「これなら……中に入れないから、君も、体の負担が少ないだろぉ?」
「そ、それはっ……あっ」
「ソフトコースだよ、ヴィヴィ……っくぅっ! 約束……した……ろ、ぁっ、はぁあ……っ」
ばちんっと肉と肉がぶつかる。湿って閉じた穴に突っ込むのとは異なる感触。びたん、びたんっと揺れる玉がみっしりと堅い太股に当たる。痛いような、むずがゆいような。
「どうした、ヴィンセント……ええ、約束通り、脚使ってるぜ? ビンビンにおっ立てて、みっともなく腰振ってるのは俺だけだ。君は、ただ、リラックスして見てりゃいい……っくっ、うぅ。俺が、無様に盛ってるのをなっ!」
ぎちっと脚に力が入った。赤い縄が肌に、肉に食い込む。固く盛り上がった筋肉の締めつけのきついこときついこと。
「ふ、は、や、ばっ」
「ダメだっ」
「え?」
切なげな声。頬を染め、目尻に涙を浮べながら手を伸ばしてる。すがりつくような目。
「お前一人で……イく……な」
持ち上げられた脚と腹の間で、彼のペニスが震えてる。見事にそそり立った一物の表面はすでにてらてらと濡れている。男らしさの象徴といじらしいまでのメスの顔。真逆のとりあわせがあまりに艶めかしい。
「一人でイくな。ちゃんと、中に、入れろ」
「いや、でも」
「うるさい、だまれ。俺の中で、イけ」
言ってる台詞の横暴さと、震える声音のギャップが可愛くて、一途でけなげで色っぽくて。
ああ。
ああ。
あーあっ、もう、もう、俺の赤毛の子猫。俺のヴィヴィちゃんが、エロ可愛くてたまんねぇっ!
「来いよ。早く………」
目尻の皴の上、玉になっていた涙の形がくずれ、つすーっと上気した肌をつたい落ちる。
「さっさと入れろぉっ」
返事する余裕もなかった。膝を縛る赤縄を片方だけほどき、片足に巻き付けたまま。がばっと開く。既に充血して、膨らんで、何かを待ち受けるように盛り上がるケツの穴に突進した。
「う、んぐうっ」
「ヴィンセントっ」
まといつく甘ったるい粘液の助けを借りて、ぱくぱくと切なげに開閉する肉厚の穴に押し当てて
「あ、そこ……だ……そこに……っ」
一息にぶち込んだ。
「あっ」
咽から押し出される悲鳴。実に切なげで、男らしくて、色っぽい。(そそる)
「くぅう、う、んんっ、いい、もっと奥。奥にっ欲し……あぁ」
うっとりと目を閉じて、自分から尻を突き出してる。
「あっ、あっ、フジイ、フジイっ!」
ばちんっと、肉と肉がぶつかった。押し寄せる湿った熱い肉の壁をこじ開け、かき分け、さらに深く。
「お、あぁっ」
(そうだ。俺もずっと、ここに入りたかった)
ソフトなセックスってのは、なかなかどうして、くせ者だ。
焦らし焦らされ誘われて、じわじわと熾火であぶられて。気付かぬうちに鍋の中の七面鳥よりもこんがり焼けている。
俺は俺で夢中になってがっついて、彼は彼でケツを振って。いつもより凄まじい勢いでぶつかりあって、がっつがっつと貪りあう。揺れる赤いロープがよじれて肉に食い込む。
「フジイ、フジイっ!」
指先が背中に、肩に食い込んでいた。力のセーブができないくらい、しがみついてるのか、君って子は。強く。そんなにも強く。(求められる悦びにはらわたが溶ける。溶けてどろっとした液体になって、ペニスの根元に流れ込む。)
「んっ、く、あ、あ、あぁ、んっ」
切羽詰まったメス鳴きを上げる唇をがっぷりとくわえ込む。深く深ぁくキスしながらのフィニッシュ。上と下から押し寄せる快楽と衝撃に心臓は瞬時にオーバードライブ。
「はっ、あ、あっ!」
制御不能のビートに身をよじり、たまらず中にたっぷり射精した。蠢めく狭い肉穴に、はしたなくも熱いしぶきが満ちる。
「あー……」
甘い声で鳴きながら、ヴィヴィちゃんが腰をゆする。よっぽど欲しかったんだろう。ひくつく穴がむしゃぶりついて、最後の一滴まですすり上げてる。食いちぎるほどぎちぎちとしたきつい締めつけもイイが、こんな風に柔らかくしなやかに巻き付いてくるのも、また、たまんない。(初めての夜から何度体を重ねただろう。相変わらず君はぶっきらぼうで、横暴で、雄々しくって男らしい。だけど体はすっかり甘え上手になった)
声を聞きたい。キスもしたい。だから濡れた唇で頬をついばみ、目尻を舐めた。わざと舌先にだ液を含ませて、湿ったいやらしい音を立てた。
「フジイ……」
「何だい?」
汗で湿って乱れた赤い髪。指を絡めてなで回す。V.Iが目を閉じて、のどを鳴らしてすり寄ってくる。
「素股は、無しだ」
「OK、わかった。もうやらない」
さみしがりやの、でっかい赤毛の子猫。額にキスして抱き寄せると、胸に顔をうずめて……
「ちょっ、ヴィヴィちゃんっ、ヒゲ当たってる、ヒゲ、ヒゲがぁっ」
「ざまぁみろ」
セックスの直後、火照った肌に無精ヒゲ。チクチクこすられ飛び上がる。
「わざとやっただろ!」
「いつもお前にやられてることだ」
……そうでした。
4最高のプレゼント
朝だ。光でわかる。どんなに固く目を閉じていても。カーテンを閉めていても。雨だろうが雪だろうが、くもりだろうがわかる。朝が来た、と。
「う……」
手足が重い。体の芯が、だるい。温室の中で何時間もだらだらと走り続けた気分だ。実際にはそんなバカげた真似をした試しは無いが、似たようなもんか。甘ったるい声と体に酔っ払い、結局明け方近くまでやっちまった。(どこがソフトコースだ?)
いや……。
ある意味、確かにソフトではあったか。
フジイの奴は俺の中に居座って、なかなか出ようとしなかった。あまつさえ手足をからめ、ちょっとでも多くの肌をひっつけようとしていた。あまりしつこいもんだから、しまいにゃケツの穴がすっかり奴のペニスの形を覚え込んじまった。
「おい」
一言文句をいってやらなきゃ気が済まない。隣をまさぐるが、空振り。だが不思議とさみしさは感じない。まだ、あいつが中にいるような気がして。
(タフな奴だ。俺より五つも年上なのに、もう起きてる)
ベッドの上に半身を起こす。
「あ、くそっ」
脱ぎ散らかしたはずの服が、きちんと畳まれて椅子の上に乗っていた。下着から靴下にいたるまで全部だ。寝てる間に裸を見られたみたいで、気まずい。(いや、見てないはずがない。俺の寝顔見ながらスケベ面でにやにや笑ってたに決まってる。そう言う男だ、フジイは!)
手を伸ばしてシャツを羽織る。朝の光の中、さすがに素っ裸でバスルームまで歩く勇気は無かった。(もしも廊下であいつに出くわしたら? 冗談じゃない!)
それでもつい、目に入ってしまう。胸と脇のぎりぎりの境目にくっきりと並ぶ、赤い吸い痕。(服で隠れてりゃ、何してもいいと思ってるな、絶対に)
「………………こんなとこまで痕つけやがって」
妙な気分だ。自分で服を着ているはずなのに、あいつに着せられてる気がする。あの長くて器用な指が、肌をまさぐるのを感じる。(しなやかな指が床に落ちた服を拾う。皴をのばしてほこりを払い、丁寧に畳んで……)
よそう。考えすぎだ。変な気分になる。
さっさとバスルームで身支度をすませ、リビングに移動する。ドアを開ける前から美味そうなにおいが漂っていた。
開けた途端、不意打ちをくらう。(こいつ、待ちかまえてたな?)
「おはよ、ヴィヴィ!」
「……そーゆー台詞は普通、キスの前に言うもんじゃないか?」
「あっれぇ? 俺、もう君にキスしたのかなあ。気付かなかった」
白々しい。
「どの口が言うか」
にゅっと尖ったアヒルみたいな唇が、先端だけ触れた。
「この口で」
「この、変態」
「それおはようって意味かい?」
「メリークリスマスだ」
「おっと」
性懲りも無くキスの準備に入る奴の鼻をつまんでやった。フジイは目を白黒させて眉を下げ、途方に暮れたテリアそっくりの顔でほほ笑んだ。
「メリークリスマス、ヴィンセント」
どうやら準備はすっかり終わっていたらしい。こたつの上には『クリスマスのごちそう』が二人分並んでいる。
「驚いた」
「なぁに、見た目ほど手はかかっちゃいないさ。あらかじめ作っといたのを温め直しただけだからね」
「七面鳥も焼いたのか!」
サイズこそSだが、丸ごと一羽。いい感じにこんがり焼けている。
「もも肉で充分だろうに」
「いーじゃねえか!」
今度は拗ねた。頬をふくらませ、口を尖らせてる。つくづく表情の豊かな男だ。見ていて飽きない。
「いっぺん、やってみたかったんだよ」
「ふーん?」
「せっかく、七面鳥が入るだけのオーブンがあるし」
呆れた奴だ。既に発想が新妻、いや、もはや主婦か?
「今まではその……チャンスが無かったし」
かと思えば恥じらってる。ほんのり頬を染め、目を伏せてエプロンの紐なんかいじってやがる。ベッドの中のふてぶてしさとギャップがありすぎだろお前。
ごく自然に手を伸ばし、撫でていた。首の後ろで一つにまとめられた、つやっつやの黒髪を。
「あ」
「美味そうだ」
※
お皿の上の七面鳥。グリーンレタスとベビーリーフの巣の中でうずくまってる時はちっぽけに見えたが、実際に切り分けてみると肉厚で、しかも身がみっちり詰っていて、なかなかに、こう……
「ヘヴィだ」
「ああ。開拓者の飢えを救うくらいだからな」
「納得した。食い切れるかな」
「残ったらシチューにすればいい。スライスしてサンドイッチにしてもいい」
「なるほどー、その発想は無かったよ、さすがネイティブ」
「お前、ほんとに焼くの初めてだったんだな」
「ああ。TVではしょっちゅう見てたけどね。あと、店で出す分と?」
メインは七面鳥のローストの野菜添え。チキンに比べて若干肉のくせが強い。薄くスライスしても、細かくほぐしてもターキーはターキーだ。味も香りもニワトリとは違う。どんなに食べ慣れたスパイスを使っても、このギャップは埋められない。これは多分、生き物としての差違だ。普段食べ慣れていない食材だからこそ、余計に感じるのだろう。
(これで親子丼作ったらどんな味になるんだろうなぁ)
食べ合わせを考慮して、やはり主食はパンを選ぶ。近所のベーカリーで買ったバケットを大きめに切って、バターを軽く塗ってから表面をオーブントースターでさっくり焼いた。スープはあっさりオニオンコンソメ、デザートのアイスクリームはストロベリーとチョコミント。さすがに酒は自粛した……最初の一杯だけで。
「メリークリスマス!」
「……メリークリスマス」
どうせ二人とも勤務は夕方からだ。たっぷり時間をかけて、だらだら食べた。クリスマス向けのCMとプログラムを飽きずに流し続けるテレビを流し見しながら、だらだらと。
「ん、初めて焼いた割には上手く行った」
「さらっと言うな、何か腹立つ」
「いやさ、正直、手探り状態だったよ? だって誰に聞いても口をそろえて言うんだもん。外はパリっと、中はしっとりって。オーブンごとに焼き時間も変わるって言うし……中にはでっかい鍋で丸ごと油で揚げろ、なんてダイナミックなアドバイスもあったし」
「そいつテキサス出身だろ」
「当たり」
「向こうの郷土料理なんだ。専用の鍋もある」
「マジ? テキサス怖い!」
「お前揚げ物苦手だもんな」
「うん、油がはねるから。天ぷら揚げるのも怖い」
「だから買ったのか、ノンオイルフライヤー」
「それは主に、健康的な意味で」
悲しいかな、ノンオイルフライヤーじゃ天ぷらは揚げられない。
「ま、そんなこんなで結局は焼き加減を見ながら自己流ですよ、自己流!」
「それでよく思いついたな」
「何を?」
「朝の、ごちそう」
「ああ、アメリカじゃあクリスマスのお祝いってのは25日の朝にやるもんだろ? 日本の正月みたく、その……は」
「……聞こえないぞ。もっと大きな声で言え」
「……とは」
「聞こえない。もっとはっきりと」
くそっ、くそっ、くそーっ! すっとぼけやがって。とっくに聞こえているはずなのに!
「親密な相手(ファミリー)とは!」
「よくできました」
わざとだな、V.I。この赤毛の小悪魔め、得意げな顔しやがって! あ、鼻で笑われた。(最高に可愛い顔だよ、ほんとにもう。ときめいちゃうだろ、ちくしょー!)
「どこで覚えた」
「若草物語」
互いに手を止めたまま、見つめ合うこと五秒。
「……ぷっ」
「笑うなよー」
露骨に吹き出した。
「似合わねぇ……お前が? 若草物語?」
「あーそうだよ。そうですよ!」
「あはっ、はははっ、若草物語! 若草物語! はは、はははっ!」
連呼して爆笑。よっぽどツボに入ったらしい。ウィスタリア並の大ヒットだよ、こんちくしょう。
若草物語ってこっちじゃあれか。女の子向けのラインナップか? 少女マンガなんかと同じくくりか?(そっちも読むけど)
「日本には学級文庫ってのがあってですねー!」
半ばやけになって説明を続行する。
「図書館まで行かなくても、教室に本が置かれてたんだよ。めんどうな貸し出し手続き無しで、休み時間に好きなだけ読めたんだ」
「ああ、そりゃ楽だな」
「先生が選ぶから自然と『名作』ってカテゴリのシリーズが並んでたけどな。おかげで一通り、こっちで言う『文学的な教養』は身に付いたって訳だ」
「他にはどんな本があったんだ?」
「ラスト・オブ・モヒカンとか。白い牙とか、オズの魔法使いとか、ロビンソン・クルーソーとか、ギリシャ神話に北欧神話に、ダイジェストだけどシェイクスピアの戯曲もあったな。ああ、あとあれだ」
「どれだ」
「赤毛のアン」
「……お前、わざと俺を笑わせようとしてるだろ」
バレたか。
朝食の後。
二人して台所に立って皿を洗った。時間をかけてだらだらと。特に差し迫った用事も無いし、何より腹が膨らんでいる。
「なー、V.I」
「どうした、フジイ」
「プレゼント、どうする」
「ああ」
どちらも予定みっちり繁忙期。買う予定は無かったし、第一サプライズなんて柄でもない。
これまで、花だの酒だの食い物を贈る事はあっても形の残る『物』を贈った事はなかった。好みの合わない物を受け取ってもお互い何か微妙な気分になるから……なんてのは、体のいい言い訳か。本当は無意識のうちに避けていたのかもしれない。
(形の残るプレゼントを交わせば、いつかそいつが重荷になる)
(悲しい扉を開く鍵になっちまう)
これまでずっとそうだった。それでも、求めずにはいられない。
飲み込んだままやり過ごす選択もあったのに。どうしてわざわざ口に出す?
(こだわるのは、求めているからだ。期待しているからだ)
「せっかくだからさー、おそろいの、何か買っちゃう?」
飲み込む重さに耐え切れず、わななく胸の疼きを押さえ切れず。おどけたふりして切り出した。臆病な小鳥みたいに心臓が震えてる。
「おそろい?」
「ペアルックってことさ」
「おいっ」
あ、声が上ずった。(何を想像したのかな、君は)
「そ、ペアルック。靴下とか、マフラーとか?」
最後の皿をお湯ですすいで食器カゴにつっこむ。仕上げに自分の手から泡を洗い落として蛇口をしめた。
「お前、けっこう地味だな」
「だって、実用的なものなら君はいつも身につけてくれるだろ?」
タオルで手をぬぐい、まくった袖を戻す。まずは左、それから右。
「靴履くなり、コートのボタン閉めちまえば、見えないし」
返事は無い。だが呆れてもいない。
困ったな。
笑い飛ばしてくれよ、ヴィンセント。でなきゃジト目でにらんでくれよ、いつもみたいに。
「それとも……」
このままじゃ俺は、つい大胆になっちまう。大それた望みを口にしちまう。
つけっぱなしのテレビから切れ切れに漏れ聞こえるクリスマスソングに浮かれて騒ぎ、乾杯のワインの酔いの助けを借りて。
いいのか?
いいのかな。
いいってこと、なのか?
「指輪、とか」
「お前、言ってることの意味、わかってんのか?」
「わかってるさ」
(抱きしめる腕の届かない時も、君に触れていたい。君の中に俺の存在を残したい)
湿り気の残る手を伸ばし、親指で触れる。
肉厚の唇をなぞる。初めて出会った夜、君が触れたように。
「週末だけじゃない。今日も、明日も、明後日も。ずっと君に『お帰り』と『ただ今』を言ってほしい」
指の腹に触れる口角が動く。
ああ、神様、マリア様、サンタクロースさま!
上がった。
きゅっと、上がった。
「俺もだよ」
ほほ笑んだ!
「俺も、言いたい」
「………」
「一緒に住もう」
あ。
あ。
あああ!
「どうした、フジイ。返事を聞かせろ。イエスか、ノーか?」
「………イエス!」
掠れた声。息も絶え絶えって感じのか細い声。これじゃ足りない。言いたいことの半分も出してない!
「イエスだ! 全力でイエスだ!」
一度口に出したらもう、止まらない。さんざん振った後で栓を抜いたソーダみたいに。クリスマスクラッカーみたいにぽんぽん言葉が飛び出した。
「こ、ここのアパートメント、家族向けだし。部屋は一つ、使ってないのがあるし。家具もカーテンもないけど、あそこを君の部屋(ベッドルーム)にすりゃいいし!」
「は? お前、阿呆か?」
ああ。鼻先で笑われた。(はしゃぎ過ぎだ。ドン引きされたか)
「せっかく一緒に住もうってのに。何で寝室を分ける必要がある?」
「………」
こう言う時のリアクションって、一つしか思い浮かばないもんだな。西部劇(ホースオペラ)の時代から。あるいはもっと古くから。
「仰せの通り」
震える声で答えると、俺は愛しい人の背中に腕を回してしがみつき、キスをしようとした。
したはずなんだが。頭ん中が真っ白になって、どうやって角度を合わせたらいいのやら、まるで間合いがつかめない。どうにもこうにもタイミングがあわなくて、途方に暮れる。見つめ合ったまんま、セキセイインコみたいに首を左右に傾げるばかり。
「どうしたフジイ。キスの仕方を忘れたか?」
「そうみたいだ。何しろ、あんまりに嬉しくってさ」
肩をすくめて眉尻を下げる。そのくせ声は弾んでる。浮かれてる。
「思いださせてくれよ、君」
「ふん」
笑い飛ばす息が顔に当たる。
熱い。
「……思い出したか?」
「もうちょっと」
二度目は舌を入れてきた。得たりとばかりに唇で挟んで逃げ道を塞ぎ
「あっ」
先端を、食んだ。
吸った。
背後に回された指に力が入る。
どこからか鈴の音が聞こえて来た。
暖炉も赤白まだらの靴下も無いけれど、最高のプレゼントは今、腕の中に居る。
(了)
十海
2016-01-03 01:51:22