光忠は、気が付いたら長谷部を好きになっていた。
長谷部は同期の中で一番の出世株で、自分にも他人にも厳しい。とにかくストイックで、ビジネスに情は要らないと言い切っているちょっと近寄りがたい彼に、光忠は惹かれていた。
勤めている課も違うし、一緒に仕事をすることも無いけれど、その噂はよく耳にした。別に皆がこぞって噂していたわけではない。彼の話に興味を持っているから、光忠の耳が無意識にそういう話題を集めてしまっているのだ。
長谷部の電話番号もメールアドレスも光忠は知らない。長谷部の見た目に惹かれたわけではないと言い切ったら嘘になるが、気が付けば長谷部の姿を目で追っていた。
同期の飲み会となれば、気が乗らないと言いつつも幹事までやってくれる。そういう面倒見の良い所が好きだった。
自分にも他人にもとにかく厳しいけど、ちょっとしたときに見せてくれる優しさというか気遣いが好きだった。
同期の飲み会でしかロクに喋ったこともないのに、長谷部くんのことを考えると胸がドキドキして堪らなくなっていた。
光忠はバイだ。学生時代は女性と付き合ったこともある。もちろん男性とも。どちらともそう長くは続かなかったが……。
「光忠ー、飲んでるかー?」
「あ、あぁ」
「足りなかったら注文しろよー」
花の金曜日。光忠らは早めに仕事を切り上げて居酒屋で飲んでいた。
光忠の向かいには長谷部が座っている。さっきから無言で焼酎を飲んでいる。飲み会となるといつもこうだ。場を盛り上げるでもなく、一人で焼酎を飲んでいる。
「長谷部くん、おつまみは足りているかな?」
「あぁ。足りなくなったら適当に頼むから気にするな」
気の強そうな形の眉に藤色の瞳――思わず見とれてしまう。
「? なんだ、俺の顔に何か付いているか?」
「い、いや、そんなことないよ! それよりも、僕も何か頼もうかな!」
メニュー越しに長谷部をチラ見する。少し疲れたような表情で焼酎を飲む長谷部はセクシーだった。
「そういえば長谷部、おまえ、課長の娘さんと見合いするのか?」
「!?」
突然のことに訊かれた長谷部よりも光忠の方が驚いた。
(長谷部くんが見合い? 課長の娘さんと? いつ?)
心臓が早鐘を打つ。
「なんだ、もう話が漏れているのか」
「どうなんだよ。課長の娘さんっていえば、まだ大学出たばっかりだろ?」
「そうらしいな」
「で、見合いするのか?」
「相手はまだ大学出たてだぞ? それに俺は今、仕事で忙しいからな」
言うと長谷部はグラスを空けて、追加の酒を注文した。
閉店時間間際まで飲んで、気が付けば見事に酔いつぶれていた。長谷部も例外ではないらしく、足元がまだしっかりしているのは光忠ともう二三人ぐらいだ。仕方なく頭がはっきりしている者で会計をして、タクシーを呼ぶ。
「光忠くん、お先にごめんね」
「気にしないで。気を付けてね」
「ありがとう。じゃぁ、また来週」
「あぁ。
ほら、起きて。君らは自分で帰れるね?」
「ん? だーいじょーぶ、だいじょーぶ! はい、運転手さん! 出発進行~!」
「本当に大丈夫かな……」
長谷部と光忠は幸い店から近い社宅住まいのため、徒歩で帰ることにした。タクシーを呼ぶほどの距離でもないが、この分だといつもの倍は時間がかかるだろう。
「ん……」
「長谷部くん、しっかりして。ほら、行くよ」
見たところそれほどガッシリしているわけではないのだが、肩に担ぐとそれなりに重い。光忠の耳元に長谷部の息が掛かる。思わず声をあげそうになって光忠は頬の内側を噛んだ。
(僕は今長谷部くんを介抱しているだけだ。変な気は起こしちゃいけない)
「ちょっとは自分で立とうとしてくれよ」
長谷部が光忠にしなだれかかる。思わずふらついた足に力を入れて踏ん張ると、光忠は社宅へ向かって歩き出した。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
このまま長谷部を部屋の前に置いてきても良かったが、こんなに泥酔しているのを一人放っておくのも気が引けて、光忠は自分の部屋に長谷部を上げて、ひとまずソファに寝かせた。
「水、飲むかい?」
冷たい水を準備して口元に近づけても飲もうとしない。ただ微かに呻くだけだ。
こんな風に酔いつぶれた長谷部を見たのは初めてだった。今まで何度も一緒に飲んでいるが、自分を見失うまで飲んだりすることは無い。
「?」
長谷部が光忠を手招きする。
手招きされるまま僕が体を近づけると、長谷部はいきなり光忠の首を引き寄せて、キスをした。
「!? っ、長谷部くん! ちょ、長谷部、くん!」
抵抗するが、長谷部は離してくれない。光忠の唇をひとしきり吸って、舌まで入れてきた。酒の味がする最悪のキスだ。
どうにか光忠が体を離すと、長谷部がうっすらと目を開けた。
「…………い、いきなり、何をするんだい!? 酔ってたんじゃなかったのか!?」
自分でも声が変に上ずっているのがわかる。
「あれぐらいで酔うわけがないだろう。
それはそうと、おまえ……どうしてずっと俺を見ている?」
少し意地悪そうに長谷部が呟いた。
「み、見てた、って……?」
「飲み会の時もそうだが、会議の時も。やけに熱っぽい目で、俺を見てただろう? 気付いていないとでも思ったか? 最初は、俺に何か言いたいことがあるのかと思った。だがそういうわけではないらしい。じゃぁ、なんだと思って俺もおまえを見ていて気付いた。おまえ、俺のことが好きなんだろう――?」
終わった――咄嗟にそう思った。
男が男を好きになるなんて、おかしい。大多数の人はそう思うはずだ。
「ご、ごめん」
「何を謝る。俺は怒っていない」
気付かれてはいけなかった思いに気付かれた。そのことで光忠は軽くパニックになっていた。
「男が――僕みたいなのが、君を好きだなんて、気持ち悪いよね……。はは、かっこわるいな、僕」
「何がかっこわるいんだ。俺は気持ち悪いなんて言ったか? 勝手に決めつけるな。で、おまえは俺のことが好きなのか? どうなんだ?」
次の瞬間、光忠は咄嗟に答えていた。
「す、好きだよ」
顔が熱い。心臓がうるさい。恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
長谷部の藤色の瞳が光忠の金の瞳を覗きこむ。
(あぁ、この目だ。この目に僕は惹かれたんだ……)
「おまえの好きは、友情とかそういうものではないのか?」
「たぶん、違うと思う――」
「どうして?」
こんなことを言ってしまって良いのだだろうか……言ったら長谷部に引かれるかもしれない。でも、今更な気もする。
「だって、僕は……君で、その……妄想をしたり、してるんだ」
「妄想?」
「君とキスしたり……それだけじゃなくて、もっとすごいことも」
声が震える。こんな羞恥プレイは初めてだった。
思わず長谷部から目を逸らすと、光忠の頬に冷たい手が添えられた。
「なら、実際にしてみるか?」
「え?」
「妄想を現実にしてやってもいい、と言ってるんだ」
唇に指が触れる。やわやわと弄られて、親指が口の中に入れられる。舌先から歯列をなぞり、口の中をたっぷりと蹂躙していく指が抜かれるとき、光忠は無意識にその指を追っていた。
「でも……」
「嫌だったらおまえを殴ってでも逃げる」
馬鹿にしたように笑うと、長谷部は起き上がり「シャワー、借りるぞ」とバスルームへ歩いて行った。
静かなリビングに独り。なんだか一気に力が抜けてその場にへたり込んでしまう。自分でも情けないとは思ったが、まさかこんな風に告白させられるとは思っていなかったのだ。
光忠は告白なんてできなくても良いと思っていた。彼らの恋は報われることのほうが少ない。だから、今回も報われないものと思っていた。告白して関係が崩れてしまうぐらいなら、告白なんて出来なくていいから今まで通りの関係を続けたかった。
バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。この部屋に自分以外の人間がいる。その事実がにわかには受け入れられない。
(気持ちの準備なんて……できてないよ……)
シャワーの音が止んだ。バスルームの扉が開く。
「タオル、勝手に使ったぞ。あとで洗って返す」
声のした方を見れば、長谷部が腰にタオルを巻いた姿で立っていた。
そのままソファに座って髪をかき上げる。風呂上がりの長谷部からはとてもいい匂いがした。
「さっさとおまえもシャワーに行ってこい」
「あ、あぁ……何かの冗談、じゃないよね? 鶴さんのよくやるドッキリとか……僕がシャワーを浴びて戻ってきたら、君はもう自分の部屋に帰った後なんてこと、ないよね?」
「おまえが遅かったらわからんぞ? さっさと浴びてこい」
言われてバスルームに向かい、脱衣所で服を脱ぐ。自分の部屋の、狭いいつものバスルーム。なのにどこか違う感じがするのは何故だろうか。
頭から冷たいシャワーを浴びる。ここを出ればリビングのソファに長谷部が居る……しかもタオル一枚で……。嬉しくないと言ったら嘘になるが、どうにも心に引っかかるものがある。。
なるべく丁寧に水滴を拭って、いつものようにボディミルクを塗った。
「お待たせ」
光忠がリビングに戻ると、長谷部は退屈そうにニュースを見ていた。
シャワーを浴びてきた光忠に一瞥をくれて、「するぞ」と一言。すぐにテレビを消して立ち上がる。
「す、するって……」
「セックスに決まっているだろう? ベッドはどこだ?」
「待って、待ってよ長谷部くん! 君は、その……良いのかい!?」
「俺がセックスをすると言っているんだ。良いも悪いもあるか」
長谷部はずかずかと寝室に足を踏み入れるとベッドにダイブした。なかなか寝心地が良いな、などと言いながらしばらくベッドのスプリングを愉しむ。
光忠としては、やっぱりこのまま長谷部とセックスをするのは嫌だった。セックスは恋人同士だけのもの、などと言うつもりはないが相手の気持ちを知らないままのセックスは嫌なのだ。長谷部が自分のことをどう思っているのか、まだ光忠は知らない。かといって、面と向かって「僕のこと、どう思ってる?」などと訊ける勇気も無くて、光忠はベッドの前に立ち尽くしていた。
長谷部は「何をぼうっとしている?」と不思議そうに光忠を見ている。しかし、光忠にしてみれば長谷部のほうが不思議だ。酔ってもいないのに、友達でもない男とセックスしようとしているのだから。
「やっぱり、こんなことしちゃダメだよ。別にセックスは愛する人とだけするべきなんて言うつもりはないけど――」
「明日からのことを考えているのか?」
「え?」
「俺とヤッたら会社で気まずくなる、とか。そこはお互い上手くやろうじゃないか」
「長谷部くん……」
「俺はおまえを抱いても良いと思っている。おまえは俺が好きだという。なら、ヤッたとしてもおまえの失うものは何もないだろう?」
長谷部の言葉は、ひどくドライだった。
甘い言葉を耳元で囁いて名前を呼んで欲しいなどとは思わないが、あまりにも事務的なそのトーンが悲しい。光忠は、きゅっと唇を噛むとやっとの思いで口を開いた。
「僕は……僕、は――ちゃんと相手の気持ちを聞いてからセックスしたい。長谷部くんは僕を抱けるというけど、それだけじゃ僕が辛いんだ。僕はそれだけじゃきっと足りない。満たされない。いつか君が僕を好きになってくれることがあったら、その時に抱いてほしい」
気が付けば、泣いていた。女々しいと思う。酒のせいもあるのかもしれない。
しかし今抱かれたら、光忠は自分が嫌いでたまらなくなってしまいそうだった。
光忠は長谷部が好きだ。性的な目でも見ている。長谷部を想って自分を慰めたこともある。できたらセックスもしたいと思っている。しかし気持ちの伴わないセックスは嫌だっだ。わがままだと思う。己が愛すように相手にも己を愛してほしいなど、求めすぎていることは解っていた。長谷部とは同僚であって、それ以上の関係ではないことも。
光忠は長谷部に愛されたかった。
「ごめん……服、着てくるよ。僕はリビングで寝るから……」
泣き顔を見られたくなくてベッドに背を向ける。
「!?」
光忠が寝室から出ようとしたとき、後ろから長谷部に抱きしめられた。
「そんなに俺に好いてほしいのか?」
「…………離してくれよ」
「答えろ」
「好きに、なってほしいよ」
搾りだした声は自分が思った以上に震えていた。
「当たり前だろう……好きな人には、自分のことを好きになってほしい、なんて。でも、そんなこと簡単に叶うわけがない! 僕をからかうのはよしてくれよ! 君にからかわれるのは耐えられないんだ……それぐらい、君のことが好きなんだよ」
光忠の目を長谷部の掌が覆う。
「もう、黙れ」
そのままベッドに押し倒され、伸し掛かられてキスをされた。
「嫌だ……離してくれよ、長谷部くん」
光忠が泣きながら抵抗する。しかし長谷部はその抵抗をものともせずに光忠を抑え込み、冷たい言葉とは対照的な熱く蕩けるようなキスをした。
「ん、んぅ……んっ」
泣く子をあやすように背中をさすり、涙を吸い、しっかりと抱きしめる。
何度も何度も唇を啄んでいると、光忠の身体から力が抜けてくる。光忠がくったりしたところで、長谷部は光忠の唇を割って舌を差し入れた。
静かな寝室に微かな水音が響く。
長谷部とする初めてのディープキスは酒の味がした。ロマンチックでもなんでもない。
「舌を出せ」
言われるままにちろりと舌を出す。すると、今までよりも深く、噛み付くようなキスをされ、思い切り吸われた。
長谷部の手は光忠の身体を弄り続けている。
長谷部は光忠の唇から口を離すと、顎から首筋、胸へと唇を滑らせた。
「少しは感じているのか?」
「っ……」
光忠の二の腕には鳥肌が立っていた。
寒いのだろうか……それとも、怖いのだろうか。それは光忠自身にもわからない。ただ、心地良さからくるものでないのは確かだ。
腕を持ち上げられて口付けられる。ゆっくりと肌を撫でながら、強引なその態度からは想像できないような軽いタッチで触れられる。
(どうして――こんなに優しいんだ)
光忠が長谷部の顔を見やると、今まで見たことが無いような余裕のない表情に胸が高鳴った。澄ました普段の表情からは想像できない雄の顔をしている。
「あっ……」
「考えごとか? 余裕じゃないか」
乳首を抓られて我に返ると、長谷部が乳首に吸い付く。
「やっ、ちょ、ちょっと、待っ……ん、んぁ」
舌で押し潰され、甘噛みされ、口の中で転がされ、どんどん嬲られて勃ってくる。ひとしきり光忠の乳首を堪能すると、次に長谷部は光忠の腰に巻かれたタオルに手をかけた。
「ダメだよ!」
「ここまできて往生際が悪いな。こんなになってるじゃないか」
タオルの上から兆していないペニスを扱かれて腰が揺れる。
「随分敏感だが、溜まっているんじゃないのか?」
「最近、シてないから……離して、くれよ」
「嫌だ」
徐に長谷部が光忠の股間に顔を近づける。そして、
「ぁむ……」
「ひゃっ!?」
光忠のペニスをタオルごと唇で食みはじめた。
やわやわとした刺激とタオルの感触がくすぐったい。腰を動かさないように意識しても、快感に貪欲な股間は光忠の意思を無視して長谷部にもっとと強請るように震えた。
どれぐらいそうしていただろうか。結局光忠が達することはなく、徐々に萎えて、気まずい沈黙が寝室に満ちていった。
「長谷部くん……もう止めよう、こんなことは。僕はリビングに居るから。何かあったら呼んでくれ」
「いい。自分の部屋に帰る」
「今日のことは、誰にも言わないよ。だから安心してくれていい」
「…………すまなかったな」
長谷部はきちんとスーツを着込むと、光忠の部屋を出て行った。
広い部屋に独り。先ほどまで長谷部が居たベッドにはまだそのぬくもりが残っている。
自分が長谷部を好きなことが、本人に知られた。そして、ベッドに押し倒された。しかし、思い人と体を重ねてみても全くと言っていいほど心地よさは無く、ただひたすらに苦しかった。
(僕は、なんてわがままなんだ……)
自分が好きな人には、自分のことも好きになってほしい。できることなら、愛してほしい。そのうえで、繋がりたい。
こんな形で長谷部との初キスを経験するとは思わなかった。最悪の初キスだ。
冷たい水を飲み干して気持ちを落ち着けると、光忠はリビングのソファの上で膝を抱えた。
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週が明けて、また月曜日がやってきた。
できるだけ金曜日のことは気にしないようにしようと思っていても、どうしても長谷部を意識してしまう。長谷部の熱い舌やたくましい腕、耳元で囁く低い声――それらを思い出すたびに、光忠の身体の奥が熱くなった。
仕事にも身が入らない。いつもならしないようなミスをして叱られたりもした。
それからも光忠は長谷部を避け続けた。その間約一か月。
できるだけ視界に入らないように、できるだけその声を聞かないようにした。少しでも長谷部が自分の領域に入ってくれば、それだけで兆してしまいそうになったからだ。
これまで欠かさず出ていた同期の飲み会も断って、さっさと家に帰る日々が続いた。
(あとは、肉を焼くだけかな)
珍しく残業をせずに済んだ金曜日、光忠はさっさと家に帰り適当に夕食を作り始めた。
サラダを用意して、ドレッシングも手作りする。メインの肉は下ごしらえを済ませてあるから、あとはオーブンレンジに入れるだけだ。
作業がひと段落したのでコーヒーでも飲もうとしたとき、インターホンが鳴った。
「? 誰だろう?」
『光忠! 開けろ!』
光忠が玄関に出るより早く扉をガンガンと叩きはじめたのは長谷部だった。
『帰っているのは分かっているぞ! 開けろ!』
(!? どうして長谷部くんが!?)
早く扉を開けなければと思うのだが、足が竦む。
あんなことをされたが、長谷部のことがまだ好きだった。だからこそ、もう一度間近で会ってしまったら、自分の中に燻っている熱がどうなってしまうのか怖かった。
ドアに背を付けて立つ。
光忠は震える声を絞りだした。
「長谷部くん……帰ってくれないかな。今、手が離せないんだ」
『光忠、とにかく開けろ。一度話がしたい』
「悪いけど……落ち着いて話せそうにないんだ。だから、今日は――」
『何もしない。何もしないから――五分だけでいい。顔を見て話がしたい』
長谷部の声は真剣そのものだった。
『開けてくれ』
震える指で鍵を開け、チェーンを付けたまま目を瞑って扉を開ける。
「光忠」
「っ…………」
名前を呼ばれただけで、背中がぞくぞくした。
「どうして目を瞑っているんだ?」
「君の顔、見たくないから――」
長谷部がそうかと寂しげに呟く。
「無理もないか……俺のしたことは許されることじゃない」
「で、話ってなんだい?」
「おまえ、異動するって、本当なのか?」
「! どうしてそれを――」
今日の昼休み前、光忠は上司に呼び出された。何かと思えば地方支店への異動の話だった。光忠のいる課で独身男性は光忠だけであったし、異動すれば長谷部とも離れられる。一度離れて頭を冷やせる。そう思って、二つ返事で引き受けたのだ。
「俺の情報網を甘く見ないでほしいな。で、異動するのか」
「あ、あぁ……。話って、それだけかい? なら、僕は――」
「何故だ。俺のせいか」
扉を閉めようとした光忠に長谷部が問いかけた。その声は驚くほど寂しげで、思わず光忠は目を開けてしまった。
目の前の長谷部は、泣きそうな顔をしていた。
「君の――君のせいだよ……」
「そうか」
長谷部が踵を返す。とっさに光忠はチェーンを外して長谷部のシャツを掴んでいた。
自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。ただ、泣きそうな彼の顔を目にした瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。ここで手を伸ばさなければきっと自分は後悔すると、直感でそう思った。
「離せ。またおまえに酷いことはしたくない」
「…………まだ、話したいこと、あるんだろう?」
「――――」
「入って」
長谷部と部屋に招き入れ、リビングを適当に片付ける。
「コーヒー、淹れてくるよ」
「いや、いい。
まずは、おまえに謝らなければならないな。この間は、本当にすまないことをした。この通りだ。許してくれとは言わん。だが、せめて謝罪させてくれ」
長谷部が深々と光忠に頭を下げる。
「いいよ。僕もちょっとは期待してたんだ。あのことは水に流そう。お互い酒も入っていたしね」
「おまえ、怒ってないのか?」
「怒ってはいないよ」
「ならばなぜ俺を避けていたんだ」
気付かれていたか――自分では上手く隠しているつもりだったのに……。
「おまえと不思議なほどすれ違わない。おまえの視線を感じない。気が付けば、仕事中でもおまえのことばかり考えてしまっていた。おかげでいつもならしないようなミスを連発するし、この一か月間、最悪だった。あんな風に告白されて気にならない男がいるか。告白されて気になって、気が付けばおまえに惚れていた。最初は酒の勢いでからかってやろうと思っただけだったんだが……それが気が付けばこのザマだ。責任は、取ってくれるな?」
藤色の瞳に見据えられ、光忠はこれ以上逃げられないと感じた。この瞳だ。この藤色の瞳に惹かれた。鋭く見つめられればもう抵抗できない。隠し事などできない。できることは、震える唇で本音を吐露するだけだ。
「ぼ、僕も……あれから、長谷部くんのことばかり考えてしまって、仕事の間も……あの日のことを思い出してしまって……もしも、君から離れれば少しはマシになるかと思ったんだ。君を嫌いになろうとも思った。でも、考えれば考えるほど、あの日のことが思い出されて、君のことを考えてしまって……」
鼻の奥がつんとして、涙が込み上げてくる。
「最悪だよ……こんなかっこわるい僕……最悪だ」
泣き顔を見られたくなくて俯くと、「泣くな」と長谷部に優しく抱きしめられる。
「優しくなんてしないでくれよ。もっと君を好きになってしまうじゃないか……君を嫌いになれたら、あんなことして最低だって思えたら、こんなに苦しくなんてないのに――」
光忠の涙が長谷部のシャツを濡らす。
「気が付けばおまえのことばかり考えていて、気が付けばおまえの泣き顔ばかり想像していて、これってなんなんだろうな? 俺には分からん。生まれてこの方、こんな風になったことがないものでな……」
大きな掌で背中を摩られる。その手はあの日と違って温かく、優しさに溢れていた。
「優しくなんてしないでくれ……これ以上優しくされたら、君のことをもっと好きになってしまう」
「好きになれば良いだろう」
「僕が君を好きになったとしても、君は僕を好きになってなんてくれないんだろう? なら、好きにならないほうがマシだよ。報われない苦しさは、もうたくさんだ……」
「俺もおまえが好きかもしれない――そう言ったら、どうする?」
「え…………?」
長谷部が光忠の耳元で囁く。
「好きだ、光忠」
あまりのことに涙も途切れるた。
長谷部が照れくさそうに笑って光忠の頬にキスをする。その後優しく頭を撫でられた。
「は、長谷部くん……」
「なんだ?」
「嘘じゃ……ないよね?」
「あぁ」
光忠がおそるおそる長谷部の背中に手を回す。初めてぎゅっと抱きしめ、光忠はほぅと溜息を吐いた。
自分より少しだけ小さい長谷部を抱きしめる。腕の中にその体温があることをしっかり確かめる。と、その時だった。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピ……
キッチンタイマーがけたたましく鳴った。
「!?」
「あ、ごめん。夕飯の支度をしていたんだ」
「そ、そうだったのか。なんだかすまなかったな、取り込み中に」
「いや、大丈夫。一息入れようとしてたんだ。そうだ、長谷部くんも食べるかい? 大したものじゃないけど。夕飯まだなんだろう?」
慌てて体を離し、バタバタとキッチンに入ってタイマーを止める。
「いや、だが、一人分しか準備していないだろう?」
「え、あ、その、大丈夫だよ! 明日の分もと思って仕込んだから、うん。食べていってよ、ね!」
二人で食事をし、片づけをした。そして、どちらからともなく、キスをした。
光忠が長谷部の身長に合わせて少し首を傾げる。あの日のキスより甘いキスだった。
「ん……ちゅ、ちゅむ……」
舌を絡め合って唇を離せば、二人の間に銀の糸が掛かる。
「そろそろ帰るか……」
光忠が帰ろうとする長谷部のシャツの裾を引く。
「明日、休みなんだろう?」
顔を真っ赤にして呟いた光忠の頭をくしゃりと撫でて長谷部が笑う。
「いいのか?」
「あぁ……」
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
光忠がシャワーを浴びて寝室に向かうと長谷部がベッドに腰かけていた。
「光忠」
名前を呼ばれ、拡げられた腕に飛び込めば蕩けるようなキスをされた。
そのままベッドに押し倒されて、体中を触られる。しっかりと自分の熱を移すように触れてくる長谷部の手は熱く、頬に触れられた時に思わず擦り寄ってしまった。
しっかりと肌を合わせて、互いの熱を交換し合う。ただそれだけで、身体の芯が痺れるような多幸感が込み上げてきた。前回のように酒の勢いで体を重ねたときには感じられなかった感情に押しつぶされそうになる。
長谷部は光忠の首筋から胸にかけてを撫でると、白い胸の中心で色づいている乳首を口に含んだ。
「は、ぁ……」
舌先で粒を転がし、時折キツく吸ってやる。ただそれだけで、光忠の中心が緩く反応する。
「乳首、感じるのか?」
「うん……気持ちいいよ」
光忠が長谷部の髪を梳く。
「ここはどうだ?」
乳首から口を離し、今度は脇腹へと移動する。光忠の引き締まった脇腹を甘噛みし、柔らかなそこにキスマークをつけた。
どちらからともなく抱き合って、見つめ合ってキスをする。自分の鼓動と相手の鼓動が重なってくる。
長谷部は光忠をとにかく愛した。決して強引なことはせず、ひたすらに優しく光忠の身体を慈しんだ。喉仏を甘噛みし、腕に唇を這わせる。そのたびに光忠はビクビクと体を跳ねさせて身悶えた。
決して股間には触れず、それ以外に場所を優しく触れる。
「長谷部くん……」
光忠が長谷部の手を取り、自らの股間に導く。
「なんだ?」
「触って……?」
「まだダメだ」
長谷部はすっかり勃ち上がった光忠自身の裏筋をつうっとなぞると、指の腹で鈴口を撫でてニヤリと笑う。
無意識に腰が揺れる。長谷部の手に思い切り股間のモノを擦り付けてしまいそうになって、光忠はかっと顔を赤らめた。
長谷部は光忠の腰を抱えると、太ももにキスをして、そのまま脛、足首と唇を移動させた。
「な、なにを……」
「ん?」
光忠に見せつけるように赤い舌を伸ばし、その親指を口に含む。たっぷりと唾液を含ませた舌で親指の腹を擦り、まるで赤子が親の乳を吸うようにしゃぶる。指の間を舌先で擽ってやれば、光忠の先端からとろりと透明な蜜が溢れた。
「長谷部くん、それ……嫌だ」
「どうして? ん、ちゅ……ちゅく、ちゅく……」
「ぞわぞわする――っ」
きゅっと指を丸めるが、すぐに長谷部の口に含まれてしまう。足首をしっかりホールドされて、逃げようにも逃げられない。
「可愛いな。足が感じるのか?」
「わ、からない」
「わからないはずがないだろう? おまえ自身は感じてるみたいだぞ?」
光忠が自身の股間を手で覆う。
「見ないで」
「見たい」
「嫌だ」
長谷部は抱えていた足を離すと、そっと股間の光忠の手を退けた。
「初めて他人のモノを間近で見るが、意外と気持ち悪くはないな」
「長谷部くん……」
「やはり、こうされると気持ちがいいのか?」
長谷部の骨ばった指が光忠自身を弄う。
竿を扱かれ、カリ首のあたりを擽られれば、自ずと鼻にかかった甘え声が漏れた。
次いで玉も優しく揉まれる。
「も、それ、やだ……から」
「こんなに濡らして何を言っている……感じてるんだろう?」
「恥ずかしいから嫌、だ。こんな僕、かっこわるい……」
「どこがかっこ悪いんだ。俺もこんなになってるのに?」
長谷部が光忠の手を掴んで自らの股間に当てた。
長谷部の屹立もすっかり大きくなっており、光忠の手にその脈を伝えてくる。
「すご……硬いね」
そっと撫でてやれば、長谷部の屹立はピクピクと動いて光忠に快感を伝えてきた。
「そのまま触っていろ」
光忠をちんぐり返しの体勢にし、自分の指をしっかり濡らしてから、その後孔に触れる。優しく揉んでいると、光忠のそこはふっくらと綻び始めた。
「男はここを使ってセックスをするんだな」
「そこしか……んっ、ないから、ね」
「入れるぞ」
長谷部の指が光忠の中に侵入してくる。
「は、ぁ……あ……」
眉間に皺を寄せて光忠は異物感に耐えた。
「これが男の中か――すごいな。締め付けてくるが、硬くはないな。それに、熱い」
「長谷部くん、ゆっくり抜き差しして……? んぁ、ぅ」
光忠に言われたとおりにゆっくりと指を抜き差しする。そのたびに光忠の口からは甘い声が漏れた。
「すご、い……気持ちいい、ね。あっ! そこ……そこ、もっと擦って?」
指の第一関節を曲げたあたりにある少し張りのある場所を揉むように擦ってやれば、光忠のペニスからとろとろとひっきりなしに蜜が溢れてくる。
「いいのか?」
「うん……うん……そこ、最高……」
無意識に長谷部の指を締め付けながらゆるゆると腰を揺らす光忠に、思わず長谷部は生唾を飲みこんだ。
今自分の指に吸い付いている肉襞に、自身の屹立が包まれたらどんな感じなのだろうか。きっと気持ちいいに違いない。早く挿入したい……挿入して、思う存分肉襞でペニスを扱きたい……。
「ちょ、えっ……? なんで、抜くの?」
光忠の孔から指を抜き、己の先端を押し付ける。
「うそ、ちょっと待って、そんないきなり無理だよ……!」
慌てて体を起こす光忠をベッドに押し戻し、噛み付くようなキスをする。そして、そのままゆっくりと光忠の中に自身の先端を埋め込んだ。
「んー! んぅー!」
挿入の痛みに光忠が暴れる。
「いきなり、入れるなんて……痛、いよ」
「す、すまん……」
「長谷部くんのヘタクソ」
初めて包まれる肉襞はとても熱く柔らかく、長谷部から精を搾り取るかのように蠢いた。ペニスを貪欲に飲みこもうとしている。この肉襞で思い切りペニスを扱きたい……腰を振りたい衝動に駆られたが、そこはぐっと堪えた。
「まだ痛いか?」
「痛いよ」
「抜くか?」
「動かないで……抜かれても、入れられても痛いから」
光忠に脇腹を抓られる。その痛みも今の長谷部にとっては甘い刺激だった。
どれぐらいそのまま二人で息を整えていただろうか。
「あっ……あ、あぁ……っ」
光忠がビクビクと体を震わせはじめた。
「!? どうした!?」
「は、長谷部、くん……おかしぃんだ、あぁっ――なんか、すごいのが……クる……っ」
急に光忠の内部がキツく締まる。それだけではない。萎えていた光忠自身も再び勃ち上がり、とろとろと白い蜜を零し恥じめた。
「や、やだ、っ……怖い……!」
「とりあえず抜くぞ」
長谷部が腰を引く。
「だめ、だめだって、ば……っあぁぁぁっっ!」
それを同時に光忠自身から精が迸った。
「う、そだろ……」
「はぁー……はぁー……ぁっ、か、は……」
一度精を放っても光忠のペニスは萎えていない。
「今の、すごかった……長谷部くん――もう一度、入れてくれるかい?」
光忠に強請られるままもう一度内部にペニスを埋める。
光忠の内部は先ほどとはうって変わってキツく狭くなっており、長谷部自身を痛いほど締め付けてきた。
「動いて?」
「あ、あぁ……」
ゆっくりと腰を使いはじめる。長いストロークで抜き差しをしてやると、その度に光忠の口から嬌声が漏れた。
徐々にストロークを速めていく。先ほど指で擦ってやった張りのあるところを亀頭で重点的に擦ってやれば、光忠のペニスがピクピクと跳ねた。
「良い、のか?」
「うん……っ、すご、い」
長谷部の額に浮かんだ汗を拭って、光忠が微笑む。
光忠の逞しい腕にすっぽりと抱かれれば、胸の奥がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。
「光忠、光忠――っ」
名前を呼んで唇を触れ合わせれば、光忠が長谷部の頭を優しく撫でる。
「長谷部くん、好きだよ。好き……」
「光忠……っ」
長谷部が光忠の中で達し、光忠もほぼ同時に絶頂を極めた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
目を覚ますと、そこには光忠の寝顔があった。昨夜のことが夢ではなかったのだと実感する。
そっと頭を撫でて体を寄せると、光忠のほうから長谷部に抱き付いてきた。存外幼いその寝顔が可愛くて、思わず瞼に口付ける。すると、光忠が薄く目を開けた。
「おはよう、長谷部くん……」
「まだ寝ていろ。休みだろう?」
「あ? あぁ……」
光忠が再び目を覚ましたら、改めて「付き合ってくれ」と言おうと決めて長谷部も再び目を閉じた。
(完)
長谷部は同期の中で一番の出世株で、自分にも他人にも厳しい。とにかくストイックで、ビジネスに情は要らないと言い切っているちょっと近寄りがたい彼に、光忠は惹かれていた。
勤めている課も違うし、一緒に仕事をすることも無いけれど、その噂はよく耳にした。別に皆がこぞって噂していたわけではない。彼の話に興味を持っているから、光忠の耳が無意識にそういう話題を集めてしまっているのだ。
長谷部の電話番号もメールアドレスも光忠は知らない。長谷部の見た目に惹かれたわけではないと言い切ったら嘘になるが、気が付けば長谷部の姿を目で追っていた。
同期の飲み会となれば、気が乗らないと言いつつも幹事までやってくれる。そういう面倒見の良い所が好きだった。
自分にも他人にもとにかく厳しいけど、ちょっとしたときに見せてくれる優しさというか気遣いが好きだった。
同期の飲み会でしかロクに喋ったこともないのに、長谷部くんのことを考えると胸がドキドキして堪らなくなっていた。
光忠はバイだ。学生時代は女性と付き合ったこともある。もちろん男性とも。どちらともそう長くは続かなかったが……。
「光忠ー、飲んでるかー?」
「あ、あぁ」
「足りなかったら注文しろよー」
花の金曜日。光忠らは早めに仕事を切り上げて居酒屋で飲んでいた。
光忠の向かいには長谷部が座っている。さっきから無言で焼酎を飲んでいる。飲み会となるといつもこうだ。場を盛り上げるでもなく、一人で焼酎を飲んでいる。
「長谷部くん、おつまみは足りているかな?」
「あぁ。足りなくなったら適当に頼むから気にするな」
気の強そうな形の眉に藤色の瞳――思わず見とれてしまう。
「? なんだ、俺の顔に何か付いているか?」
「い、いや、そんなことないよ! それよりも、僕も何か頼もうかな!」
メニュー越しに長谷部をチラ見する。少し疲れたような表情で焼酎を飲む長谷部はセクシーだった。
「そういえば長谷部、おまえ、課長の娘さんと見合いするのか?」
「!?」
突然のことに訊かれた長谷部よりも光忠の方が驚いた。
(長谷部くんが見合い? 課長の娘さんと? いつ?)
心臓が早鐘を打つ。
「なんだ、もう話が漏れているのか」
「どうなんだよ。課長の娘さんっていえば、まだ大学出たばっかりだろ?」
「そうらしいな」
「で、見合いするのか?」
「相手はまだ大学出たてだぞ? それに俺は今、仕事で忙しいからな」
言うと長谷部はグラスを空けて、追加の酒を注文した。
閉店時間間際まで飲んで、気が付けば見事に酔いつぶれていた。長谷部も例外ではないらしく、足元がまだしっかりしているのは光忠ともう二三人ぐらいだ。仕方なく頭がはっきりしている者で会計をして、タクシーを呼ぶ。
「光忠くん、お先にごめんね」
「気にしないで。気を付けてね」
「ありがとう。じゃぁ、また来週」
「あぁ。
ほら、起きて。君らは自分で帰れるね?」
「ん? だーいじょーぶ、だいじょーぶ! はい、運転手さん! 出発進行~!」
「本当に大丈夫かな……」
長谷部と光忠は幸い店から近い社宅住まいのため、徒歩で帰ることにした。タクシーを呼ぶほどの距離でもないが、この分だといつもの倍は時間がかかるだろう。
「ん……」
「長谷部くん、しっかりして。ほら、行くよ」
見たところそれほどガッシリしているわけではないのだが、肩に担ぐとそれなりに重い。光忠の耳元に長谷部の息が掛かる。思わず声をあげそうになって光忠は頬の内側を噛んだ。
(僕は今長谷部くんを介抱しているだけだ。変な気は起こしちゃいけない)
「ちょっとは自分で立とうとしてくれよ」
長谷部が光忠にしなだれかかる。思わずふらついた足に力を入れて踏ん張ると、光忠は社宅へ向かって歩き出した。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
このまま長谷部を部屋の前に置いてきても良かったが、こんなに泥酔しているのを一人放っておくのも気が引けて、光忠は自分の部屋に長谷部を上げて、ひとまずソファに寝かせた。
「水、飲むかい?」
冷たい水を準備して口元に近づけても飲もうとしない。ただ微かに呻くだけだ。
こんな風に酔いつぶれた長谷部を見たのは初めてだった。今まで何度も一緒に飲んでいるが、自分を見失うまで飲んだりすることは無い。
「?」
長谷部が光忠を手招きする。
手招きされるまま僕が体を近づけると、長谷部はいきなり光忠の首を引き寄せて、キスをした。
「!? っ、長谷部くん! ちょ、長谷部、くん!」
抵抗するが、長谷部は離してくれない。光忠の唇をひとしきり吸って、舌まで入れてきた。酒の味がする最悪のキスだ。
どうにか光忠が体を離すと、長谷部がうっすらと目を開けた。
「…………い、いきなり、何をするんだい!? 酔ってたんじゃなかったのか!?」
自分でも声が変に上ずっているのがわかる。
「あれぐらいで酔うわけがないだろう。
それはそうと、おまえ……どうしてずっと俺を見ている?」
少し意地悪そうに長谷部が呟いた。
「み、見てた、って……?」
「飲み会の時もそうだが、会議の時も。やけに熱っぽい目で、俺を見てただろう? 気付いていないとでも思ったか? 最初は、俺に何か言いたいことがあるのかと思った。だがそういうわけではないらしい。じゃぁ、なんだと思って俺もおまえを見ていて気付いた。おまえ、俺のことが好きなんだろう――?」
終わった――咄嗟にそう思った。
男が男を好きになるなんて、おかしい。大多数の人はそう思うはずだ。
「ご、ごめん」
「何を謝る。俺は怒っていない」
気付かれてはいけなかった思いに気付かれた。そのことで光忠は軽くパニックになっていた。
「男が――僕みたいなのが、君を好きだなんて、気持ち悪いよね……。はは、かっこわるいな、僕」
「何がかっこわるいんだ。俺は気持ち悪いなんて言ったか? 勝手に決めつけるな。で、おまえは俺のことが好きなのか? どうなんだ?」
次の瞬間、光忠は咄嗟に答えていた。
「す、好きだよ」
顔が熱い。心臓がうるさい。恥ずかしい。顔から火が出そうだ。
長谷部の藤色の瞳が光忠の金の瞳を覗きこむ。
(あぁ、この目だ。この目に僕は惹かれたんだ……)
「おまえの好きは、友情とかそういうものではないのか?」
「たぶん、違うと思う――」
「どうして?」
こんなことを言ってしまって良いのだだろうか……言ったら長谷部に引かれるかもしれない。でも、今更な気もする。
「だって、僕は……君で、その……妄想をしたり、してるんだ」
「妄想?」
「君とキスしたり……それだけじゃなくて、もっとすごいことも」
声が震える。こんな羞恥プレイは初めてだった。
思わず長谷部から目を逸らすと、光忠の頬に冷たい手が添えられた。
「なら、実際にしてみるか?」
「え?」
「妄想を現実にしてやってもいい、と言ってるんだ」
唇に指が触れる。やわやわと弄られて、親指が口の中に入れられる。舌先から歯列をなぞり、口の中をたっぷりと蹂躙していく指が抜かれるとき、光忠は無意識にその指を追っていた。
「でも……」
「嫌だったらおまえを殴ってでも逃げる」
馬鹿にしたように笑うと、長谷部は起き上がり「シャワー、借りるぞ」とバスルームへ歩いて行った。
静かなリビングに独り。なんだか一気に力が抜けてその場にへたり込んでしまう。自分でも情けないとは思ったが、まさかこんな風に告白させられるとは思っていなかったのだ。
光忠は告白なんてできなくても良いと思っていた。彼らの恋は報われることのほうが少ない。だから、今回も報われないものと思っていた。告白して関係が崩れてしまうぐらいなら、告白なんて出来なくていいから今まで通りの関係を続けたかった。
バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。この部屋に自分以外の人間がいる。その事実がにわかには受け入れられない。
(気持ちの準備なんて……できてないよ……)
シャワーの音が止んだ。バスルームの扉が開く。
「タオル、勝手に使ったぞ。あとで洗って返す」
声のした方を見れば、長谷部が腰にタオルを巻いた姿で立っていた。
そのままソファに座って髪をかき上げる。風呂上がりの長谷部からはとてもいい匂いがした。
「さっさとおまえもシャワーに行ってこい」
「あ、あぁ……何かの冗談、じゃないよね? 鶴さんのよくやるドッキリとか……僕がシャワーを浴びて戻ってきたら、君はもう自分の部屋に帰った後なんてこと、ないよね?」
「おまえが遅かったらわからんぞ? さっさと浴びてこい」
言われてバスルームに向かい、脱衣所で服を脱ぐ。自分の部屋の、狭いいつものバスルーム。なのにどこか違う感じがするのは何故だろうか。
頭から冷たいシャワーを浴びる。ここを出ればリビングのソファに長谷部が居る……しかもタオル一枚で……。嬉しくないと言ったら嘘になるが、どうにも心に引っかかるものがある。。
なるべく丁寧に水滴を拭って、いつものようにボディミルクを塗った。
「お待たせ」
光忠がリビングに戻ると、長谷部は退屈そうにニュースを見ていた。
シャワーを浴びてきた光忠に一瞥をくれて、「するぞ」と一言。すぐにテレビを消して立ち上がる。
「す、するって……」
「セックスに決まっているだろう? ベッドはどこだ?」
「待って、待ってよ長谷部くん! 君は、その……良いのかい!?」
「俺がセックスをすると言っているんだ。良いも悪いもあるか」
長谷部はずかずかと寝室に足を踏み入れるとベッドにダイブした。なかなか寝心地が良いな、などと言いながらしばらくベッドのスプリングを愉しむ。
光忠としては、やっぱりこのまま長谷部とセックスをするのは嫌だった。セックスは恋人同士だけのもの、などと言うつもりはないが相手の気持ちを知らないままのセックスは嫌なのだ。長谷部が自分のことをどう思っているのか、まだ光忠は知らない。かといって、面と向かって「僕のこと、どう思ってる?」などと訊ける勇気も無くて、光忠はベッドの前に立ち尽くしていた。
長谷部は「何をぼうっとしている?」と不思議そうに光忠を見ている。しかし、光忠にしてみれば長谷部のほうが不思議だ。酔ってもいないのに、友達でもない男とセックスしようとしているのだから。
「やっぱり、こんなことしちゃダメだよ。別にセックスは愛する人とだけするべきなんて言うつもりはないけど――」
「明日からのことを考えているのか?」
「え?」
「俺とヤッたら会社で気まずくなる、とか。そこはお互い上手くやろうじゃないか」
「長谷部くん……」
「俺はおまえを抱いても良いと思っている。おまえは俺が好きだという。なら、ヤッたとしてもおまえの失うものは何もないだろう?」
長谷部の言葉は、ひどくドライだった。
甘い言葉を耳元で囁いて名前を呼んで欲しいなどとは思わないが、あまりにも事務的なそのトーンが悲しい。光忠は、きゅっと唇を噛むとやっとの思いで口を開いた。
「僕は……僕、は――ちゃんと相手の気持ちを聞いてからセックスしたい。長谷部くんは僕を抱けるというけど、それだけじゃ僕が辛いんだ。僕はそれだけじゃきっと足りない。満たされない。いつか君が僕を好きになってくれることがあったら、その時に抱いてほしい」
気が付けば、泣いていた。女々しいと思う。酒のせいもあるのかもしれない。
しかし今抱かれたら、光忠は自分が嫌いでたまらなくなってしまいそうだった。
光忠は長谷部が好きだ。性的な目でも見ている。長谷部を想って自分を慰めたこともある。できたらセックスもしたいと思っている。しかし気持ちの伴わないセックスは嫌だっだ。わがままだと思う。己が愛すように相手にも己を愛してほしいなど、求めすぎていることは解っていた。長谷部とは同僚であって、それ以上の関係ではないことも。
光忠は長谷部に愛されたかった。
「ごめん……服、着てくるよ。僕はリビングで寝るから……」
泣き顔を見られたくなくてベッドに背を向ける。
「!?」
光忠が寝室から出ようとしたとき、後ろから長谷部に抱きしめられた。
「そんなに俺に好いてほしいのか?」
「…………離してくれよ」
「答えろ」
「好きに、なってほしいよ」
搾りだした声は自分が思った以上に震えていた。
「当たり前だろう……好きな人には、自分のことを好きになってほしい、なんて。でも、そんなこと簡単に叶うわけがない! 僕をからかうのはよしてくれよ! 君にからかわれるのは耐えられないんだ……それぐらい、君のことが好きなんだよ」
光忠の目を長谷部の掌が覆う。
「もう、黙れ」
そのままベッドに押し倒され、伸し掛かられてキスをされた。
「嫌だ……離してくれよ、長谷部くん」
光忠が泣きながら抵抗する。しかし長谷部はその抵抗をものともせずに光忠を抑え込み、冷たい言葉とは対照的な熱く蕩けるようなキスをした。
「ん、んぅ……んっ」
泣く子をあやすように背中をさすり、涙を吸い、しっかりと抱きしめる。
何度も何度も唇を啄んでいると、光忠の身体から力が抜けてくる。光忠がくったりしたところで、長谷部は光忠の唇を割って舌を差し入れた。
静かな寝室に微かな水音が響く。
長谷部とする初めてのディープキスは酒の味がした。ロマンチックでもなんでもない。
「舌を出せ」
言われるままにちろりと舌を出す。すると、今までよりも深く、噛み付くようなキスをされ、思い切り吸われた。
長谷部の手は光忠の身体を弄り続けている。
長谷部は光忠の唇から口を離すと、顎から首筋、胸へと唇を滑らせた。
「少しは感じているのか?」
「っ……」
光忠の二の腕には鳥肌が立っていた。
寒いのだろうか……それとも、怖いのだろうか。それは光忠自身にもわからない。ただ、心地良さからくるものでないのは確かだ。
腕を持ち上げられて口付けられる。ゆっくりと肌を撫でながら、強引なその態度からは想像できないような軽いタッチで触れられる。
(どうして――こんなに優しいんだ)
光忠が長谷部の顔を見やると、今まで見たことが無いような余裕のない表情に胸が高鳴った。澄ました普段の表情からは想像できない雄の顔をしている。
「あっ……」
「考えごとか? 余裕じゃないか」
乳首を抓られて我に返ると、長谷部が乳首に吸い付く。
「やっ、ちょ、ちょっと、待っ……ん、んぁ」
舌で押し潰され、甘噛みされ、口の中で転がされ、どんどん嬲られて勃ってくる。ひとしきり光忠の乳首を堪能すると、次に長谷部は光忠の腰に巻かれたタオルに手をかけた。
「ダメだよ!」
「ここまできて往生際が悪いな。こんなになってるじゃないか」
タオルの上から兆していないペニスを扱かれて腰が揺れる。
「随分敏感だが、溜まっているんじゃないのか?」
「最近、シてないから……離して、くれよ」
「嫌だ」
徐に長谷部が光忠の股間に顔を近づける。そして、
「ぁむ……」
「ひゃっ!?」
光忠のペニスをタオルごと唇で食みはじめた。
やわやわとした刺激とタオルの感触がくすぐったい。腰を動かさないように意識しても、快感に貪欲な股間は光忠の意思を無視して長谷部にもっとと強請るように震えた。
どれぐらいそうしていただろうか。結局光忠が達することはなく、徐々に萎えて、気まずい沈黙が寝室に満ちていった。
「長谷部くん……もう止めよう、こんなことは。僕はリビングに居るから。何かあったら呼んでくれ」
「いい。自分の部屋に帰る」
「今日のことは、誰にも言わないよ。だから安心してくれていい」
「…………すまなかったな」
長谷部はきちんとスーツを着込むと、光忠の部屋を出て行った。
広い部屋に独り。先ほどまで長谷部が居たベッドにはまだそのぬくもりが残っている。
自分が長谷部を好きなことが、本人に知られた。そして、ベッドに押し倒された。しかし、思い人と体を重ねてみても全くと言っていいほど心地よさは無く、ただひたすらに苦しかった。
(僕は、なんてわがままなんだ……)
自分が好きな人には、自分のことも好きになってほしい。できることなら、愛してほしい。そのうえで、繋がりたい。
こんな形で長谷部との初キスを経験するとは思わなかった。最悪の初キスだ。
冷たい水を飲み干して気持ちを落ち着けると、光忠はリビングのソファの上で膝を抱えた。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
週が明けて、また月曜日がやってきた。
できるだけ金曜日のことは気にしないようにしようと思っていても、どうしても長谷部を意識してしまう。長谷部の熱い舌やたくましい腕、耳元で囁く低い声――それらを思い出すたびに、光忠の身体の奥が熱くなった。
仕事にも身が入らない。いつもならしないようなミスをして叱られたりもした。
それからも光忠は長谷部を避け続けた。その間約一か月。
できるだけ視界に入らないように、できるだけその声を聞かないようにした。少しでも長谷部が自分の領域に入ってくれば、それだけで兆してしまいそうになったからだ。
これまで欠かさず出ていた同期の飲み会も断って、さっさと家に帰る日々が続いた。
(あとは、肉を焼くだけかな)
珍しく残業をせずに済んだ金曜日、光忠はさっさと家に帰り適当に夕食を作り始めた。
サラダを用意して、ドレッシングも手作りする。メインの肉は下ごしらえを済ませてあるから、あとはオーブンレンジに入れるだけだ。
作業がひと段落したのでコーヒーでも飲もうとしたとき、インターホンが鳴った。
「? 誰だろう?」
『光忠! 開けろ!』
光忠が玄関に出るより早く扉をガンガンと叩きはじめたのは長谷部だった。
『帰っているのは分かっているぞ! 開けろ!』
(!? どうして長谷部くんが!?)
早く扉を開けなければと思うのだが、足が竦む。
あんなことをされたが、長谷部のことがまだ好きだった。だからこそ、もう一度間近で会ってしまったら、自分の中に燻っている熱がどうなってしまうのか怖かった。
ドアに背を付けて立つ。
光忠は震える声を絞りだした。
「長谷部くん……帰ってくれないかな。今、手が離せないんだ」
『光忠、とにかく開けろ。一度話がしたい』
「悪いけど……落ち着いて話せそうにないんだ。だから、今日は――」
『何もしない。何もしないから――五分だけでいい。顔を見て話がしたい』
長谷部の声は真剣そのものだった。
『開けてくれ』
震える指で鍵を開け、チェーンを付けたまま目を瞑って扉を開ける。
「光忠」
「っ…………」
名前を呼ばれただけで、背中がぞくぞくした。
「どうして目を瞑っているんだ?」
「君の顔、見たくないから――」
長谷部がそうかと寂しげに呟く。
「無理もないか……俺のしたことは許されることじゃない」
「で、話ってなんだい?」
「おまえ、異動するって、本当なのか?」
「! どうしてそれを――」
今日の昼休み前、光忠は上司に呼び出された。何かと思えば地方支店への異動の話だった。光忠のいる課で独身男性は光忠だけであったし、異動すれば長谷部とも離れられる。一度離れて頭を冷やせる。そう思って、二つ返事で引き受けたのだ。
「俺の情報網を甘く見ないでほしいな。で、異動するのか」
「あ、あぁ……。話って、それだけかい? なら、僕は――」
「何故だ。俺のせいか」
扉を閉めようとした光忠に長谷部が問いかけた。その声は驚くほど寂しげで、思わず光忠は目を開けてしまった。
目の前の長谷部は、泣きそうな顔をしていた。
「君の――君のせいだよ……」
「そうか」
長谷部が踵を返す。とっさに光忠はチェーンを外して長谷部のシャツを掴んでいた。
自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。ただ、泣きそうな彼の顔を目にした瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。ここで手を伸ばさなければきっと自分は後悔すると、直感でそう思った。
「離せ。またおまえに酷いことはしたくない」
「…………まだ、話したいこと、あるんだろう?」
「――――」
「入って」
長谷部と部屋に招き入れ、リビングを適当に片付ける。
「コーヒー、淹れてくるよ」
「いや、いい。
まずは、おまえに謝らなければならないな。この間は、本当にすまないことをした。この通りだ。許してくれとは言わん。だが、せめて謝罪させてくれ」
長谷部が深々と光忠に頭を下げる。
「いいよ。僕もちょっとは期待してたんだ。あのことは水に流そう。お互い酒も入っていたしね」
「おまえ、怒ってないのか?」
「怒ってはいないよ」
「ならばなぜ俺を避けていたんだ」
気付かれていたか――自分では上手く隠しているつもりだったのに……。
「おまえと不思議なほどすれ違わない。おまえの視線を感じない。気が付けば、仕事中でもおまえのことばかり考えてしまっていた。おかげでいつもならしないようなミスを連発するし、この一か月間、最悪だった。あんな風に告白されて気にならない男がいるか。告白されて気になって、気が付けばおまえに惚れていた。最初は酒の勢いでからかってやろうと思っただけだったんだが……それが気が付けばこのザマだ。責任は、取ってくれるな?」
藤色の瞳に見据えられ、光忠はこれ以上逃げられないと感じた。この瞳だ。この藤色の瞳に惹かれた。鋭く見つめられればもう抵抗できない。隠し事などできない。できることは、震える唇で本音を吐露するだけだ。
「ぼ、僕も……あれから、長谷部くんのことばかり考えてしまって、仕事の間も……あの日のことを思い出してしまって……もしも、君から離れれば少しはマシになるかと思ったんだ。君を嫌いになろうとも思った。でも、考えれば考えるほど、あの日のことが思い出されて、君のことを考えてしまって……」
鼻の奥がつんとして、涙が込み上げてくる。
「最悪だよ……こんなかっこわるい僕……最悪だ」
泣き顔を見られたくなくて俯くと、「泣くな」と長谷部に優しく抱きしめられる。
「優しくなんてしないでくれよ。もっと君を好きになってしまうじゃないか……君を嫌いになれたら、あんなことして最低だって思えたら、こんなに苦しくなんてないのに――」
光忠の涙が長谷部のシャツを濡らす。
「気が付けばおまえのことばかり考えていて、気が付けばおまえの泣き顔ばかり想像していて、これってなんなんだろうな? 俺には分からん。生まれてこの方、こんな風になったことがないものでな……」
大きな掌で背中を摩られる。その手はあの日と違って温かく、優しさに溢れていた。
「優しくなんてしないでくれ……これ以上優しくされたら、君のことをもっと好きになってしまう」
「好きになれば良いだろう」
「僕が君を好きになったとしても、君は僕を好きになってなんてくれないんだろう? なら、好きにならないほうがマシだよ。報われない苦しさは、もうたくさんだ……」
「俺もおまえが好きかもしれない――そう言ったら、どうする?」
「え…………?」
長谷部が光忠の耳元で囁く。
「好きだ、光忠」
あまりのことに涙も途切れるた。
長谷部が照れくさそうに笑って光忠の頬にキスをする。その後優しく頭を撫でられた。
「は、長谷部くん……」
「なんだ?」
「嘘じゃ……ないよね?」
「あぁ」
光忠がおそるおそる長谷部の背中に手を回す。初めてぎゅっと抱きしめ、光忠はほぅと溜息を吐いた。
自分より少しだけ小さい長谷部を抱きしめる。腕の中にその体温があることをしっかり確かめる。と、その時だった。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピ……
キッチンタイマーがけたたましく鳴った。
「!?」
「あ、ごめん。夕飯の支度をしていたんだ」
「そ、そうだったのか。なんだかすまなかったな、取り込み中に」
「いや、大丈夫。一息入れようとしてたんだ。そうだ、長谷部くんも食べるかい? 大したものじゃないけど。夕飯まだなんだろう?」
慌てて体を離し、バタバタとキッチンに入ってタイマーを止める。
「いや、だが、一人分しか準備していないだろう?」
「え、あ、その、大丈夫だよ! 明日の分もと思って仕込んだから、うん。食べていってよ、ね!」
二人で食事をし、片づけをした。そして、どちらからともなく、キスをした。
光忠が長谷部の身長に合わせて少し首を傾げる。あの日のキスより甘いキスだった。
「ん……ちゅ、ちゅむ……」
舌を絡め合って唇を離せば、二人の間に銀の糸が掛かる。
「そろそろ帰るか……」
光忠が帰ろうとする長谷部のシャツの裾を引く。
「明日、休みなんだろう?」
顔を真っ赤にして呟いた光忠の頭をくしゃりと撫でて長谷部が笑う。
「いいのか?」
「あぁ……」
*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*-* -*-*-*-*-*-*-*-*-*
光忠がシャワーを浴びて寝室に向かうと長谷部がベッドに腰かけていた。
「光忠」
名前を呼ばれ、拡げられた腕に飛び込めば蕩けるようなキスをされた。
そのままベッドに押し倒されて、体中を触られる。しっかりと自分の熱を移すように触れてくる長谷部の手は熱く、頬に触れられた時に思わず擦り寄ってしまった。
しっかりと肌を合わせて、互いの熱を交換し合う。ただそれだけで、身体の芯が痺れるような多幸感が込み上げてきた。前回のように酒の勢いで体を重ねたときには感じられなかった感情に押しつぶされそうになる。
長谷部は光忠の首筋から胸にかけてを撫でると、白い胸の中心で色づいている乳首を口に含んだ。
「は、ぁ……」
舌先で粒を転がし、時折キツく吸ってやる。ただそれだけで、光忠の中心が緩く反応する。
「乳首、感じるのか?」
「うん……気持ちいいよ」
光忠が長谷部の髪を梳く。
「ここはどうだ?」
乳首から口を離し、今度は脇腹へと移動する。光忠の引き締まった脇腹を甘噛みし、柔らかなそこにキスマークをつけた。
どちらからともなく抱き合って、見つめ合ってキスをする。自分の鼓動と相手の鼓動が重なってくる。
長谷部は光忠をとにかく愛した。決して強引なことはせず、ひたすらに優しく光忠の身体を慈しんだ。喉仏を甘噛みし、腕に唇を這わせる。そのたびに光忠はビクビクと体を跳ねさせて身悶えた。
決して股間には触れず、それ以外に場所を優しく触れる。
「長谷部くん……」
光忠が長谷部の手を取り、自らの股間に導く。
「なんだ?」
「触って……?」
「まだダメだ」
長谷部はすっかり勃ち上がった光忠自身の裏筋をつうっとなぞると、指の腹で鈴口を撫でてニヤリと笑う。
無意識に腰が揺れる。長谷部の手に思い切り股間のモノを擦り付けてしまいそうになって、光忠はかっと顔を赤らめた。
長谷部は光忠の腰を抱えると、太ももにキスをして、そのまま脛、足首と唇を移動させた。
「な、なにを……」
「ん?」
光忠に見せつけるように赤い舌を伸ばし、その親指を口に含む。たっぷりと唾液を含ませた舌で親指の腹を擦り、まるで赤子が親の乳を吸うようにしゃぶる。指の間を舌先で擽ってやれば、光忠の先端からとろりと透明な蜜が溢れた。
「長谷部くん、それ……嫌だ」
「どうして? ん、ちゅ……ちゅく、ちゅく……」
「ぞわぞわする――っ」
きゅっと指を丸めるが、すぐに長谷部の口に含まれてしまう。足首をしっかりホールドされて、逃げようにも逃げられない。
「可愛いな。足が感じるのか?」
「わ、からない」
「わからないはずがないだろう? おまえ自身は感じてるみたいだぞ?」
光忠が自身の股間を手で覆う。
「見ないで」
「見たい」
「嫌だ」
長谷部は抱えていた足を離すと、そっと股間の光忠の手を退けた。
「初めて他人のモノを間近で見るが、意外と気持ち悪くはないな」
「長谷部くん……」
「やはり、こうされると気持ちがいいのか?」
長谷部の骨ばった指が光忠自身を弄う。
竿を扱かれ、カリ首のあたりを擽られれば、自ずと鼻にかかった甘え声が漏れた。
次いで玉も優しく揉まれる。
「も、それ、やだ……から」
「こんなに濡らして何を言っている……感じてるんだろう?」
「恥ずかしいから嫌、だ。こんな僕、かっこわるい……」
「どこがかっこ悪いんだ。俺もこんなになってるのに?」
長谷部が光忠の手を掴んで自らの股間に当てた。
長谷部の屹立もすっかり大きくなっており、光忠の手にその脈を伝えてくる。
「すご……硬いね」
そっと撫でてやれば、長谷部の屹立はピクピクと動いて光忠に快感を伝えてきた。
「そのまま触っていろ」
光忠をちんぐり返しの体勢にし、自分の指をしっかり濡らしてから、その後孔に触れる。優しく揉んでいると、光忠のそこはふっくらと綻び始めた。
「男はここを使ってセックスをするんだな」
「そこしか……んっ、ないから、ね」
「入れるぞ」
長谷部の指が光忠の中に侵入してくる。
「は、ぁ……あ……」
眉間に皺を寄せて光忠は異物感に耐えた。
「これが男の中か――すごいな。締め付けてくるが、硬くはないな。それに、熱い」
「長谷部くん、ゆっくり抜き差しして……? んぁ、ぅ」
光忠に言われたとおりにゆっくりと指を抜き差しする。そのたびに光忠の口からは甘い声が漏れた。
「すご、い……気持ちいい、ね。あっ! そこ……そこ、もっと擦って?」
指の第一関節を曲げたあたりにある少し張りのある場所を揉むように擦ってやれば、光忠のペニスからとろとろとひっきりなしに蜜が溢れてくる。
「いいのか?」
「うん……うん……そこ、最高……」
無意識に長谷部の指を締め付けながらゆるゆると腰を揺らす光忠に、思わず長谷部は生唾を飲みこんだ。
今自分の指に吸い付いている肉襞に、自身の屹立が包まれたらどんな感じなのだろうか。きっと気持ちいいに違いない。早く挿入したい……挿入して、思う存分肉襞でペニスを扱きたい……。
「ちょ、えっ……? なんで、抜くの?」
光忠の孔から指を抜き、己の先端を押し付ける。
「うそ、ちょっと待って、そんないきなり無理だよ……!」
慌てて体を起こす光忠をベッドに押し戻し、噛み付くようなキスをする。そして、そのままゆっくりと光忠の中に自身の先端を埋め込んだ。
「んー! んぅー!」
挿入の痛みに光忠が暴れる。
「いきなり、入れるなんて……痛、いよ」
「す、すまん……」
「長谷部くんのヘタクソ」
初めて包まれる肉襞はとても熱く柔らかく、長谷部から精を搾り取るかのように蠢いた。ペニスを貪欲に飲みこもうとしている。この肉襞で思い切りペニスを扱きたい……腰を振りたい衝動に駆られたが、そこはぐっと堪えた。
「まだ痛いか?」
「痛いよ」
「抜くか?」
「動かないで……抜かれても、入れられても痛いから」
光忠に脇腹を抓られる。その痛みも今の長谷部にとっては甘い刺激だった。
どれぐらいそのまま二人で息を整えていただろうか。
「あっ……あ、あぁ……っ」
光忠がビクビクと体を震わせはじめた。
「!? どうした!?」
「は、長谷部、くん……おかしぃんだ、あぁっ――なんか、すごいのが……クる……っ」
急に光忠の内部がキツく締まる。それだけではない。萎えていた光忠自身も再び勃ち上がり、とろとろと白い蜜を零し恥じめた。
「や、やだ、っ……怖い……!」
「とりあえず抜くぞ」
長谷部が腰を引く。
「だめ、だめだって、ば……っあぁぁぁっっ!」
それを同時に光忠自身から精が迸った。
「う、そだろ……」
「はぁー……はぁー……ぁっ、か、は……」
一度精を放っても光忠のペニスは萎えていない。
「今の、すごかった……長谷部くん――もう一度、入れてくれるかい?」
光忠に強請られるままもう一度内部にペニスを埋める。
光忠の内部は先ほどとはうって変わってキツく狭くなっており、長谷部自身を痛いほど締め付けてきた。
「動いて?」
「あ、あぁ……」
ゆっくりと腰を使いはじめる。長いストロークで抜き差しをしてやると、その度に光忠の口から嬌声が漏れた。
徐々にストロークを速めていく。先ほど指で擦ってやった張りのあるところを亀頭で重点的に擦ってやれば、光忠のペニスがピクピクと跳ねた。
「良い、のか?」
「うん……っ、すご、い」
長谷部の額に浮かんだ汗を拭って、光忠が微笑む。
光忠の逞しい腕にすっぽりと抱かれれば、胸の奥がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。
「光忠、光忠――っ」
名前を呼んで唇を触れ合わせれば、光忠が長谷部の頭を優しく撫でる。
「長谷部くん、好きだよ。好き……」
「光忠……っ」
長谷部が光忠の中で達し、光忠もほぼ同時に絶頂を極めた。
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目を覚ますと、そこには光忠の寝顔があった。昨夜のことが夢ではなかったのだと実感する。
そっと頭を撫でて体を寄せると、光忠のほうから長谷部に抱き付いてきた。存外幼いその寝顔が可愛くて、思わず瞼に口付ける。すると、光忠が薄く目を開けた。
「おはよう、長谷部くん……」
「まだ寝ていろ。休みだろう?」
「あ? あぁ……」
光忠が再び目を覚ましたら、改めて「付き合ってくれ」と言おうと決めて長谷部も再び目を閉じた。
(完)